高度経済成長真っ只中にあった1960年代、すでに2輪では世界に知られた存在だったホンダは4輪乗用車界進出に乗り出す。そこでまず開発されたのが、2輪の高性能技術を生かした小型スポーツカーだった。そんな歴史の一端を感じるために、ホンダコレクションホールを訪れた。(Motor Magazine 2016年1月号より)

ボンネットのパワーバルジがS800の証だった

1960年代、それはホンダにとって4輪進出の時だった。1948年に創業したホンダは60年代に入ると海外の2輪レースでの活躍で、ついにはF1にまで参戦することとなる。それは4輪進出を目指したものであり、4輪乗用車界に参入することは必然だった。

ホンダは1962年の東京モーターショーに2台のスポーツカー、S500/S360を参考出品する。OHVが主流であった時代に、先進的な直4DOHCエンジンを搭載。後輪をチェーンで駆動するという特異なメカニズムを採用して人々を驚かせた。ホンダはまず小型スポーツカーという分野から4輪乗用車へ討って出たのだった。

その1年後の1963年10月、いよいよS500の市販を開始。その生産は手作りに近い状態であり量産メーカーというにはほど遠かったが、「時計のように精密」と言われたDOHCエンジンは8500rpmまで吹け上がり、小気味良く決まるシフトとあいまってスポーツカー好きを熱狂させた。ホンダの走りのイメージはここから始まったと言えるだろう。

ツインリンクもてぎにあるホンダコレクションホールでは、そのS500の発展形となるS800を見ることができる。1966年1月に登場したS800は、S500/S600同様、梯子型フレームの幌付き2座オープンのスポーツカーであるが、エンジンを791ccに拡大し、最高出力を70psにアップ、最高速は160km/hを謳っていた。

ボンネットのパワーバルジが特徴で、4速MTはフルシンクロ。1966年5月には、独自のチェーン駆動から、リアにデフケースを備えた一般的なシャフトドライブに変更。68年5月に登場した輸出仕様のS800Mは、フロントにディスクブレーキ、145SR13のラジアルタイヤを装備していた。

4輪進出を図って開発されたホンダの小型スポーツカーはとにかく挑戦的だった。

画像: Sシリーズは総計2万5853台を生産、その内S800は1万1406台を数えた。

Sシリーズは総計2万5853台を生産、その内S800は1万1406台を数えた。

画像: ウッドハンドルをはじめ60年代を感じさせるコクピット。

ウッドハンドルをはじめ60年代を感じさせるコクピット。

ホンダ S800(1966-1970年 AS800/AS800C型)

主要諸元●全長:3335mm×全幅1400mm×全高1200mm ●ホイールベース:2000mm ●エンジン:水冷4サイクル直列4気筒DOHC ●排気量:791cc ●最高出力:70ps/8000rpm ●車両重量:720kg ●最高速 160km/h ●1965年当時の価格:65万8000円

ホンダ コレクション ホール

ホンダのチャレンジングスピリット、技術の歴史、ものづくりへの情熱が感じられるミュージアム。「ホンダのみんなが何を考えてつくってきたか。みんなのつくったものを皆さんにお見せすればいい。こんな正直なホンダはどこにもないぞ」という創業者本田宗一郎の言葉が発端になって開設された。現在のホンダ コレクション ホールは、ツインリンクもてぎ開業にあわせて、鈴鹿サーキット内にあったコレクションホールを移転する形で1998年3月にツインリンクもてぎの重要な施設のひとつとして設立された。2輪、4輪、レーシングマシン、国内外の良きライバル車など約300台を展示。さまざまな企画展が開催されていて、いつ訪れても新しい発見がある。なお、ツインリンクもてぎへの入場に料金が必要だが、ホンダ コレクション ホールへの入場は無料となっている。

画像1: ホンダ コレクション ホール
画像2: ホンダ コレクション ホール
画像3: ホンダ コレクション ホール

●住所:栃木県芳賀郡茂木町桧山120-1(ツインリンクもてぎ内)
●入館料:無料(ただしツインリンクもてぎへの入場に別途料金が必要)
●問い合わせ先:☎0285-64-0341 
●アクセス:常磐自動車道水戸北スマートICより約30分(東京方面からのETC専用出入り口のみ)、那珂ICより約40分、水戸ICより約40分/東北自動車道宇都宮ICより約90分/北関東自動車道真岡ICより約50分

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