現在に続くアウディの象徴、RSモデルの出発点
アウディの歴史は古く、「レースは技術の実験室」という創立者アウグスト・ホルヒ博士の信念のもと、1930年代のグランプリで大活躍するなどモータースポーツにおける業績は輝かしいものだった。
しかし、レース部門が東ドイツ・ツヴィッカウのホルヒ工場にあったこともあり、戦後しばらくはモータースポーツ活動を行うことができず、アウディはドイツ製品らしい「質実剛健」な実用的で真面目なクルマ作りを得意とするメーカーとなっていた。
そんな状況を劇的に変えたのがポルシェから移籍してきたフェルディナント・ピエヒ博士だった。ポルシェのモータースポーツ部門の責任者としてポルシェ908やポルシェ917を生み出したピエヒ博士は、1972年にアウディの開発部門のトップに就任すると、さっそく独自の5気筒エンジンとフルタイム4WDシステムの開発に着手した。
こうして誕生したのが「アウディ クワトロ」(1980年)だ。200psを発揮する2.2L 直5SOHCインタークーラー付ターボエンジンを搭載、センターデフ内蔵の画期的なフルタイム4WDシステムを採用していた。
それと前後して、ドイツ・ネッカーズルムにレース部門「アウディ スポーツ」が設けられ、1981年から世界ラリー選手権への挑戦を開始すると、瞬く間にラリーシーンを席巻。フルタイム4WDシステムをラリーに持ち込むことに懐疑的だった周囲を驚かせた。
そして、1983年にスペシャルモデルの開発や生産、レースサポートを行う「quattro GmbH(クワトロ社)」(現在のAudi Sport GmbH アウディスポーツ社)が設立されると、一気にアウディのモータースポーツ活動は勢いを増していく。
クワトロ社が開発した初めてスペシャルモデルとされるのが、WRCに投入するためのベースとして製作された「アウディ スポーツ クワトロ」(1983年登場)だ。グループ4からグループBへの規格変更に伴い、200台限定で生産されたホモローゲーション取得用モデルで、運動性能向上を狙って「クワトロ」よりもホイールベースを320mm短縮し、最高出力306ps/最大トルク350Nmの2.2L 直5DOHC4バルブターボを搭載していた。
大きなタイヤを収めるための迫力あるブリスターフェンダーが特徴で、そのボディにはケブラーをはじめとした複合素材が使われるなど徹底的な軽量化も図られていた。
その後、クワトロ社はB4型80クーぺをベースに最高出力230psの2.2L 直5ターボを搭載した「S2」、80アバントをベースに性能をさらに先鋭化した「RS2」をリリース。現在に続くRSモデルの礎を作っていくのだった。
アウディ スポーツ クワトロ 1983年 主要諸元
●全長×全幅×全高=4160×1800×1340mm
●ホイールベース=2224mm
●エンジン=直5DOHCターボ
●排気量=2133cc
●最高出力=306ps/6700rpm
●最大トルク=350Nm/3700rpm
●トランスミッション=5速MT
●駆動方式=4WD