東京を中心とした首都高速道路を例にとってみると……
日本にある道路は、道路法第3条によって4種類に分類されている。「高速自動車国道」と「一般国道」、「都道府県道」、「市町村道」だ。
ここで「高速自動車国道」とは、高速自動車国道法第4条において「全国的な自動車交通網の枢要部分を構成し、かつ、政治・経済・文化上特に重要な地域を連絡する道路その他国の利害に特に重大な関係を有する道路」と定められている。ポイントは“全国的な自動車交通網”という文言だ。
そのため、東京や名古屋などの都市部のために作られた「首都高速道路」を含む都市高速道路は、国が定めた「高速自動車国道法」のリストには入っていない。では、どこに分類されるのかといえば、「都道府県道」となる。つまり都市高速道路は、ローカルな存在ゆえに「高速自動車国道法」からは除外されているのだ。
そもそも東京の首都高速道路と、東名高速道路をはじめとした都市と都市を結ぶ全国ネットワークの高速道路では、目的が異なっていた。
名称こそどちらも同じ1950年代に計画されたが、首都高速道路の建設はあくまでも都心部の渋滞緩和のためだった。直面する東京都心部の渋滞を緩和するために、なるべく早く作らなければならなかったのだが、終戦から10年の歳月で都心部はびっしりと建造物が立ち並んでいた。
建設用地を買収しようとすれば、時間も費用も莫大なものになる。そこで河川の上を走らせるアイデアが採用された。クネクネと曲がる河川の上を走るため、高い速度域での走行は無理ということで、最高速は60km/hに設定されたのだ。ちなみに計画は、戦前となる1930年代に発表された論文が土台となっていた。
そうして首都高速道路の計画が決まったのは1959年のこと。ちょうど、同じ時期に東京オリンピックの開催が決定したことで、その建設計画は、さらに推進力を得ることとなったのだ。(文:鈴木ケンイチ)