昭和は遠くなりにけり…だが、昭和生まれの国産スポーティカーは、日本だけでなく世界的にもブームとなっている。そんな昭和の名車たちを時系列で紹介していこう。1963年発売のトヨタ・パブリカ コンバーチブル。

パタパタとユッタリ走るオープンカー

トヨタ・パブリカ コンバーチブル:昭和38年(1963年)10月発売

画像: 写真はマイナーチェンジ後のUP20S。最高速は先代UP10S型の120km/hから125km/hにアップした(いずれもカタログ値)。

写真はマイナーチェンジ後のUP20S。最高速は先代UP10S型の120km/hから125km/hにアップした(いずれもカタログ値)。

1955年(昭和30年)5月、通産省(当時)が発表した「国民車育成要綱案」、通称「国民車構想」は、発展途上にあった日本の自動車産業にさまざまな影響を与えた。

それは国産車の“大衆車路線”への重要な布石となったが、トヨタもその構想にのっとった1A1型小型試作車を56年9月に発表、さらにこれは61年6月に発売されたパブリカとなって実を結んだ。

初代パブリカはあまりにも質素で、スパルタンな装備だったこともあり、あまり売れなかったが、63年秋にデラックス仕様がデビューしてからようやく人気を得た。

画像: 1966年12月にエンジンをトヨタスポーツと同じ790㏄の45psエンジンを搭載、大幅なフェイスリフトをうけてUP20Sとなる。印象はガラリと変り、それまでの安物感を払拭した。価格は49万9000円。

1966年12月にエンジンをトヨタスポーツと同じ790㏄の45psエンジンを搭載、大幅なフェイスリフトをうけてUP20Sとなる。印象はガラリと変り、それまでの安物感を払拭した。価格は49万9000円。

その後、63年10月に登場したのが、コンバーチブルのUP10S型である。スカイライン スポーツに続くオープンタイプとして、かなりの売上げを記録した。

スポーツカーと呼ぶにはおとなし過ぎる性能だったが、当時の日本ではスポーツカーといえばオープンタイプを意味していた(その逆も真ということになっていた)こともあって、パブリカの場合も、いわばセミ・スポーツタイプとして愛用された。

1966年末には大幅なマイナーチェンジが行われ、形式はUP20Sとなる。トヨタ・スポーツ800譲りのツインキャブ790ccの45psエンジンが搭載されて性能的にも向上し、フロントグリルのデザインも改められた。

画像: できる限りパブリカセダンのコンポーネンツを流用したので、ステアリングもささやかな2本スポーク。しかしスピードとタコメーターが独立して設けられた。(写真はUP20S)

できる限りパブリカセダンのコンポーネンツを流用したので、ステアリングもささやかな2本スポーク。しかしスピードとタコメーターが独立して設けられた。(写真はUP20S)

シャシはセダンタイプと大きな変更はなく、前輪はウイッシュボーン/トーションバー独立懸架、後輪は半楕円リーフ/リジッドアクスルで、ブレーキは前後ドラムタイプである。

フロントはバケットシート、4速フロアシフトのギアボックスで、一応スポーティなイメージであったが、最高速はUP20S型でも125㎞/hと、ごくつつましいものだった。

画像: 1961年のデビュー時は質実剛健が売りのパブリカだったが、チープすぎたのか不人気。63年秋にデラックスとコンバーチブルを追加して息を吹き返す。

1961年のデビュー時は質実剛健が売りのパブリカだったが、チープすぎたのか不人気。63年秋にデラックスとコンバーチブルを追加して息を吹き返す。

昭和の名車のバックナンバー

パブリカ コンバーチブル 主要諸元

●全長×全幅×全高:3585×1415×1335mm
●ホイールベース:2130mm
●重量:620kg
●エンジン型式・種類:2U-B型・空冷水平対向2・OHV
●排気量:697cc
●最高出力:36ps/5000rpm
●最大トルク:5.7kgm/4000rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:6.00-12 4PR
●価格:48万9000円

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