昭和は遠くなりにけり…だが、昭和生まれの国産スポーティカーは、日本だけでなく世界的にもブームとなっている。そんな昭和の名車たちを時系列で紹介していこう。1968年発売のいすゞ 117クーペ。

ジウジアーロのデザインには他を圧倒する“美”があった

いすゞ 117クーペ:昭和43年(1968年)12月発売

画像: 最高速度は190km/h、0→400m加速は16.8秒(2名乗車時)とカタログには記載されていた。

最高速度は190km/h、0→400m加速は16.8秒(2名乗車時)とカタログには記載されていた。

人気カーデザイナー、ジウジアーロがデザインを手がけた美しいファストバックスタイルの4シータークーペ、117クーペは、1966年(昭和41年)3月のジュネーブショーに出品されて人気を集めた。

「ギア・いすゞ 117スポーツ」としてジュネーブショーに出品された117クーペは、同年7月、イタリア国際自動車デザイン・ビエンナーレで名誉賞を受賞。10月、第12回東京モーターショーにも展示されたが、発売は1968年12月となった。ジュネーブショーで発表されてから実に2年9カ月の歳月が流れていた。

これはベースとなるシャシをベレット1600GTから新型車のフローリアンに変更したためで、フローリアンの生産準備が遅れたことによる。

画像: ナルディタイプのウッドステアリングに、台湾楠のメーターパネル。当時の高級車には本木が多用されていた。

ナルディタイプのウッドステアリングに、台湾楠のメーターパネル。当時の高級車には本木が多用されていた。

パワーユニットは、4気筒DOHC、1584cc、120psのG161W型エンジンを搭載してデビュー。最高速度は190km/h、0→400m加速は16.8秒の駿足クーペでもあった。

1970年10月、ECGIつき1600DOHC・130psとSUツインキャブ・1800SOHC・115psを追加、3モデルとなった。

一次プレス以外はハンドメイドの少量生産モデルなので、117クーペは価格も高く、販売台数も月販50〜60台にとどまっていた。

画像: 室内の造りも高級スポーツクーペにふさわしい雰囲気のある仕上がりだ。カタログ上は4人乗りだが、実質的には2+2。

室内の造りも高級スポーツクーペにふさわしい雰囲気のある仕上がりだ。カタログ上は4人乗りだが、実質的には2+2。

その117クーペが量産化に転換したのは1973年3月からで、エンジンは1800のみとなり、DOHCのECGIが140ps、SUツインキャブが125ps、SOHCはSUツインキャブの115psと2バレルシングルキャブ・100psの4機種となった。量産化による価格の大幅ダウンで117の人気は急上昇、1974年以降は月販1000台前後が続いている。

1978年12月には4気筒DOHC1949ccのECGI、135psをはじめとする2000スターシリーズにスケールアップ。1981年6月、ピアッツァの登場で117クーペの生産は終了した。

画像: 初期モデルは一台一台職人が手でたたき出して、ボディのラインを作り出していた。その流麗なスタイルは海外でも絶賛された。

初期モデルは一台一台職人が手でたたき出して、ボディのラインを作り出していた。その流麗なスタイルは海外でも絶賛された。

昭和の名車のバックナンバー

いすゞ 117クーペ 主要諸元

●全長×全幅×全高:4280×1600×1320mm
●ホイールベース:2500mm
●重量:1050kg
●エンジン型式・種類:G161W型・直4 DOHC
●排気量:1584cc
●最高出力:120ps/6400rpm
●最大トルク:14.5kgm/5000rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:6.45H-14-4PR
●価格:172万円

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