グループAレースは「Flying Brick(空とぶレンガ)」伝説から始まった
1985年、富士スピードウェイで開催された「1985インターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)」でワン・ツーフィニッシュを飾ったのが今回紹介するボルボ240ターボだ。「空飛ぶレンガ」と揶揄?されたほど無骨なセダンで、正直言って少しも速そうに見えない。ノーマル車のパワースペックと動力性能は、B21ET型の2.1L 直4 SOHCエンジンから155psを発生。0→100km/hを9秒、最高速度は195km/hというものだ。
グループAレース仕様では、1983年に連続した12カ月に5000台以上を生産するという規定をクリアした上で、そのスポーツエボリューションとして500台追加製造された240ターボエボリューションがベースとなった。エンジン型式はノーマルと同じだが、アルミ合金シリンダーヘッド、鍛造のピストン、コンロッド、クランクシャフトを使用など中身は別物だ。
燃料噴射装置は特製のボッシュのKジェトロニック(機械式インジェクション)を採用。ギャレット・エアリサーチ製ターボにインタークーラー、特製ウオーターインジェクションも装備した。公称動力性能は300〜340ps/40kgm。軽量化がボンネットやドアはもちろんのこと、リアアクスルでも6kg削減。ブレーキシステムは4ポットキャリパーにベンチレーテッドディスクの組み合わせとしていた。
欧州では1984年からボルボ240ターボの活躍が始まる。その年のETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)とDTM(ドイツツーリングカー選手権)で1勝ずつの計2勝を上げると、翌1985年には2つのチームとファクトリーチーム契約する。
ひとつはスイスのエッゲンバーガー・モータースポーツチームで、ボルボディーラーチームヨーロッパとしてETCに参加した。ドライバーは、T・リンドストロム、S・ミュラー・ジュニア、G・ブランカテリ、P・ドュドネ。もうひとつのチームはスウェーデンのマグナムレーシングで、ドライバーはU・グランベルグ、A・オロフソン、I・カールソン。さらにDTMにはIPSモータースポーツが参戦した。
1985年のETCでボルボ240ターボは14レース中6レースで優勝。DTMでは、優勝1回、表彰台5回という安定した速さを見せたパー・シュトレソンがドライバーズタイトルを獲得した。そして、その勢いのまま富士スピードウェイで開催された「インターTEC」に乗り込んできたのだ。
ボルボ240ターボは予選から圧倒的な速さを見せ、BMW635CSiや国産勢のスタリオン、スカイラインRSターボを圧倒。決勝レースでもミューラー/デュドネ組、リンドストロム/ブランカテリ組が終始レースをリードしてワン・ツーフィニッシュを飾った。ここから日本のグループAレースの歴史が始まったのだ。