イギリス育ちのスープラが、SARDスープラとして凱旋した!
![画像: イギリス選手権を戦っていたスープラ(日本名:セリカXX)をSARDがインターTECに投入した。ピットクルーが思い思いのスタイルなのも牧歌的だ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/01/882e8052c3b97e8a0c484c9586a13a026971c854_xlarge.jpg)
イギリス選手権を戦っていたスープラ(日本名:セリカXX)をSARDがインターTECに投入した。ピットクルーが思い思いのスタイルなのも牧歌的だ。
UKトヨタのスープラを持ち込んだのはシグマ・オートモーティブ。85年にSARD(シグマズ アドバンスド リサーチ&デベロップメント)が設立されたこともあり、エントリー名は「SARDスープラ」となった。
エンジンは5M-GEUで2.8L直6DOHC。ノーマルのスペックは最高出力170ps/5600rpm、最大トルク24.0kgm/4400rpmというもの。グループA用エンジンは、UKトヨタが公認を受けたパーツを使用しており、詳細なスペックは不明だが260ps程度の最高出力を発生したようだ。
![画像: トヨタ系のレーシングチームとして名を馳せたC-ONEスポーツも参加。クルマ造りはオートスポーツ誌でレポートされていた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/01/b5711964511f8b02e5cdba2cebfdb2f53c6e7996_xlarge.jpg)
トヨタ系のレーシングチームとして名を馳せたC-ONEスポーツも参加。クルマ造りはオートスポーツ誌でレポートされていた。
サスペンション形式はフロント/ストラット、リア/セミトレーリングアーム。SARDスープラでは、ショックアブソーバーにオイル容量をアップした多段調整式を採用。リアサスペンションは、シングルからダブルショックアブソーバーとし、1072kgという当時のレーシングマシンとしては重量級のボディを支えていた。
ブレーキは、フロント/APロッキード12インチベンチレーテッドディスク、リア/ノーマルベンチレーテッドディスクという組み合わせだ。
![画像: ミノルタレーシングは関谷/小河という一線級ドライバーを起用。予選20番手から7位までポジションアップした。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/01/1a87247aec13cd67e800cdabd3f39ebe807931f7_xlarge.jpg)
ミノルタレーシングは関谷/小河という一線級ドライバーを起用。予選20番手から7位までポジションアップした。
1985年のインターTECでは、上記のSARDスープラに加え、C-ONEスポーツスープラが参戦。セリカの名称ではミノルタレーシングチームも参戦した。予選では、D シアーズ/岡本安弘組のSARDスープラが11番手。関谷正徳/小河等/鈴木利男組のミノルタα−7000セリカが20番手、佐藤浩二/熊谷睦/黒木健次組のC-ONEスポーツスープラが30番手となった。
決勝ではSARDスープラが序盤でトランスミッションのトラブルによってリタイアするが、予選では振るわなかったミノルタα−7000セリカがしぶとく走りきり7位に入った。しかし、格下のAE86が6位に入っていたということもあり、悔しさの残る日本デビューとなった。
![画像: 1986シーズンからはカラーリングを一新し、全日本ツーリングカー選手権をレギュラーで走ったSARDスープラ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/01/163512f93e7544e76201faee65b6c50d0b0c0bda_xlarge.jpg)
1986シーズンからはカラーリングを一新し、全日本ツーリングカー選手権をレギュラーで走ったSARDスープラ。
トヨタファンとしては、87年に登場するMA70スープラまで本格的な活躍は待たなければならなかったのだ。