フォルクスワーゲンの運転のしやすさ、頑丈な雰囲気はどこから生まれるのだろうか。Motor Magazine誌2006年3月号のフォルクスワーゲン特集では、ゴルフGTIとポロGTIをとおして、興味深い分析を行っている。(以下の試乗記は、Motor Magazine 2006年3月号より)

絶妙な操作類の位置関係、調節範囲が広いのもポイント

ボクが初めてフォルクスワーゲン車を運転したのは、空冷フラット4の「カブトムシ(初代ビートル)」。友人が乗ってきたのでちょっと借りて近所を一周したのだが、すごく運転しやすかった。奥まった住宅街の狭い道を曲がったりもしたが、丸っこい形のクルマなのに車両感覚も掴みやすかった。アクセル/ブレーキ/クラッチのペダル類、シフトレバーやハンドルなども操作しやすかった。

なぜ運転しやすかったのか。これをいま考えてみると、現在にも通じるフォルクスワーゲンの「ドライビングポジションに対する哲学」が見えてくる。

クルマをうまく操ろうとした時、もっとも重要なのは「ドライビングポジション」である。それは、ドライビングということが、そもそもスポーツだからだ。このことは、BMWドライバー・トレーニングでも教えているが、「周りの状況を見て、頭で判断して、行動する」という繰り返しは、色々なスポーツにもクルマのドライビングにも共通する行為。スポーツでいう「フォーム」に当たるものが「ドライビングポジション」であり、これを最適に取ることが、安全で疲れずクルマをうまく操ることにつながるのだ。

スポーツモデルであるゴルフGTIとポロGTIでも、ドライバーズシート各部の調整範囲がすごく広い。シートスライド、ハイトコントロールは、ここまで必要かと思わせるほど調整幅がある。リクライニングも細かく調整できる。

さらにハンドルは上下方向のチルト、前後方向のテレスコピックの調整範囲も大きい。これらによって身長160cmより小さな体格の日本人女性から、ドイツ人の2mを超えるような大きい男性でも許容できる。また、身長は高くないのに座高がやたらと高い日本のオジサン体型もカバーできる。

極端に大きな体型の人から小さな人にも、そして胴が長い人にもフィットするドライビングポジションを提供するためには、ことほど左様にシートやハンドルの調整範囲を大きくしなければならない。フォルクスワーゲンは、これを実に真面目にやっているのだ。ここはぜひとも日本車に真似をしてもらいたいところだ。

カタログの装備一覧だけを見たら同じに見えるハンドルのチルトとテレスコピックでも、ただ付いているのではなく、それが有効に働くかどうかが問題である。ドライビングポジションを調整しようと思ってハンドルに触り、チルトが一番下になっているのかと思ったら一番上だったという日本車は珍しくない。テレスコピックが一番前だと思ったら一番後ろだったという経験もある。またシートのハイトコントロールが一番上かと思ったら一番下だった、ということすらある。調整範囲そのものが狭いだけでなく、イニシャル(基準の位置)そのものがズレている日本車が多いのである。

フォルクスワーゲン車は、シートやハンドルの調整範囲が広く、その基準点の取り方も的を射ているだけではない。ペダル、ハンドル、シフトレバー、シートの位置関係とウインドシールド、天井、ピラー、ダッシュボード、スイッチ、メーター、ウインドウ、バックミラーの位置関係が絶妙にいいのである。

今回のテーマで一番言いたいのは、ここだ。これが、フォルクスワーゲン車の大きなアドバンテージなのである。奥の深い話なので、もう少し詳しく説明してみよう。

クルマをデザインする時は、ドライバーのアイポイントがどこに来るかという、そのゾーンを設定する。このゾーンを、ウインドシールド、天井、ダッシュボードなどとどのような位置関係にするかが問題になる。ドライバーが見る景色は、ここで決まるのだ。

ボンネットやダッシュボードはどう見えるか。インストルメントパネルがどんな角度で見えるのか。Aピラーがどんな位置になるのか。違和感なく楽に運転できること、さらには車両感覚を掴みやすくするためにもその角度と距離は十分に吟味しなければならない。そしてさまざまな体型のドライバーのアイポイントをそのゾーンに合わせられるようにするためには、何よりも調整範囲の広さが必要なのだ。

たとえばレクサスISは、シートの調整範囲は広いものの、ボクの体型では最適なドライビングポジションを取るとアイポイントが気持ちのよいゾーンには来ない。頭上にはルーフが迫り、ウインドシールドの上の方から前方を見るという位置になってしまう。ちょうどいい景色になるようアイポイントを合わせると、今度は正確にドライビングできるポジションではなくなってしまうのだ。

フォルクスワーゲン車の場合は、ゴルフやもっと小さなポロでもボクは最適なドライビングポジションに合わせることができる。少なくとも、レクサスISよりさまざまな体型のドライバーに対して最適なポジションを合わせられるということで、ドライビングポジションのスイートスポットが広いといえる。

最近でこそ背が高く室内高もあるクルマが増えたが、フォルクスワーゲンは背の低いクルマが流行った時でも、十分なヘッドクリアランスを取れるデザインを貫いていたのもこのためだ。

画像: ゴルフGTIの運転席でドライバーの視点に近い位置から前方を眺める。ボンネット前端が見えるわけでもないが、車両感覚が感覚的につかみやすい。

ゴルフGTIの運転席でドライバーの視点に近い位置から前方を眺める。ボンネット前端が見えるわけでもないが、車両感覚が感覚的につかみやすい。

デザインには価値観が出る目的は何なのかが重要

そして「フォルクスワーゲンらしさ」という意味では、もうひとつ重要な要素を挙げておこう。それはフォルクスワーゲンのモデルは、その車格を問わず、どれもがしっかりとした分厚いボディをまとっているように見えることだ。ここで取材したゴルフGTIもポロGTIも、そしてその標準グレードも、さらにはもっと小さなルポでさえ、ガッチリした姿だ。しかし、ポロやルポが日本車に比べてそんなに分厚い鉄板を使っているとも思えない。では、なぜそう見えるのだろうか。

この秘密を探っていくと、ドイツ人の日常生活が関係していることがわかってくる。いまの日本の住宅は、せいぜい30年もてばいいという考えでデザインされている。しかしドイツでは100年もつ住宅が当たり前だ。

どこが違うのか。それは「丈夫さ」だ。だから常日頃、その住宅が備えている丈夫さを目にしている人々にとっては、クルマも住宅と同じように「丈夫そうに」見えなくてはならないのだ。25年前、ボクが初めてドイツに行った時、ホテルで部屋のドアの厚みに、つくづく日本との違いを感じたものだ。

日本の自動車メーカーで一時、流行にもなった「ボディサイドの映り込みをきれいにする」というデザイン手法は、ドイツ的な感性からはまったく逆である。映り込みがきれい、というのは、ドアの境界線においても映り込んでいる水平線が一直線になるようにするということで、そのためにボディのプレス工程では多大な苦労が費やされた。だがその結果は、実はボディそのものの印象を薄っぺらく見せるだけのものだった。

鉄板を切ったりプレス機で曲げたりする時、その切れ目や曲がるところがスパッと鋭角になっていたら、その鉄板は薄いと感じる。厚い鉄板は、曲げられた時にその曲がるラインへ引きずられるように、平らな側の面もわずかに少しだけ曲がる。これが映り込んだ線を曲げるのだ。人間は長い間生きてきた上での経験で、薄いものを曲げたらどうなるか、厚いものを曲げたらどうなるか、ということを潜在意識の中で知っている。だから、もし映り込みが一直線できれいに見えるならば、それは鉄板が薄いからだと見てしまうのだ。

また、フォルクスワーゲンは本当に厚みを見せることもしている。たとえばそれは、ドアの隙間である。日本車は隙間を狭くしようと物凄く努力しているし、メルセデス・ベンツも最近その隙間を狭くしようとしている。だがフォルクスワーゲンはまだ広い部類に属する。なぜならば、隙間があってもそれが逆にドアの厚みを見せることができるという大きなメリットが生まれることを知っているからなのかもしれない。

お金を掛けてペイントを薄くすることに努力する日本車と、厚いペイント部を見せて鉄板の厚みを強調して重厚感を演出しているフォルクスワーゲン車との違いは大きい。

またボンネットの隙間に関しては、日本車との違いは明白だ。これはフォルクスワーゲンに限らずドイツ車全般に共通するが、ボンネットを開けた時、その縁に「フランジ」と呼ぶ折り返し部分が見える。これがあるから、ボンネットを閉めた時にフェンダーとボンネットの隙間からフランジが見えて、自然とボンネット自体の厚みを感じるのだ。

こうして、走り出す前の段階ですでにフォルクスワーゲンらしさは十分に感じることができる。だがカタログを見ているだけではわからない。ショールームに出掛けてクルマを目の前にすれば、違いが明白になるだろう。

さらに試乗を行えば、その走りも見た目のイメージを裏切らない。そのことを、ボクは今回も確認したのであった。(文:こもだきよし/Motor Magazine 2006年3月号より)

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