時は平成元年10月。クラウンがまだ200万円台で買えた時代に、455万円のスターティングプライスで登場した初代セルシオは全世界に衝撃を与えた。レクサス・チャンネルの立ち上げに際して、メルセデス・ベンツSクラスを超え、さらに頂点を目指すことを使命として誕生した日本初グローバル高級セダンの偉大さを再確認する。

不可能を可能にした徹底した「源流主義」

「日本の自動車メーカーには、どうせ出来っこない」と言ったかどうか定かではないが、少なくとも当時の欧米高級車メーカーやブランドは高をくくっていたことは確かだ。そして姿を現したレクサスLS400=セルシオを見て、彼らは心底慌てた。そしてその秘密を知ろうと、研究用に購入したLSをバラバラにして溜息をついたという。「こんなこと不可能だ!」。それほどまでにレクサスLS、つまりセルシオの登場は衝撃的だったのである。

画像: 最上級仕様のC仕様Fパッケージは当初800万円台の値付けを計画していたが、営業判断で620万円に下げられたとか。作るほど赤字?

最上級仕様のC仕様Fパッケージは当初800万円台の値付けを計画していたが、営業判断で620万円に下げられたとか。作るほど赤字?

セルシオの開発は、世にいうバブル景気が始まる以前(昭和58年=1983年ごろ)にスタートしていた。そもそもは、北米で立ち上げるプレミアム・チャンネル「レクサス」のフラッグシップを作るのが目的だったのである。ゆえに、日本市場は意識していなかった。当初は発売計画さえなかったという話もある。それが平成元年に国内でもセルシオとして発売されることになったのは、日産シーマの成功による高級パーソナル市場の誕生だった。始まりかけていたバブル景気も上層部の決断を後押しした。

画像: 高速性能を重視した設計はわずかな振動や風切り音も許さなかった。ドライブシャフトの角度が地面と完全に平行になるように、専用の工作機械を導入し、新たな工数が加えられたという。

高速性能を重視した設計はわずかな振動や風切り音も許さなかった。ドライブシャフトの角度が地面と完全に平行になるように、専用の工作機械を導入し、新たな工数が加えられたという。

今まで日本の自動車会社がトライしたことのない高級車の開発は、壮絶をきわめたという。開発にあたって重視されたのは「源流主義」。徹底的な静粛性こそLSの武器だと判断した開発チームは、ちょっとした異音の発生や振動を見逃さず、ライバルたちが制振材や部材補強で誤魔化していたところを、その問題点の発生源(源流)をとことん追求して根本的に解決するまで次工程に進まないという厳しい開発体制を敷いたのだ。

画像: ライバル各社は購入したLSをバラバラに分解して、ビス1本まで考え尽くされた作りに舌を巻いた。

ライバル各社は購入したLSをバラバラに分解して、ビス1本まで考え尽くされた作りに舌を巻いた。

走行性能もしかり。ふわふわして覚束なかった従来の国産高級車とは異なり、時速160マイル以上で走ってもなんら不安のない高速安定性を実現するため、当時北海道の士別に出来たばかりのテストコースで、過酷なテストが繰り返されたという。さらに計測機や工作機械も新たに製作し、求める製品レベルを追求していった。静粛性と世界で通用する高速走行性能、この二律背反すると言われていた要素をハイレベルで両立したのが初代セルシオなのだ。

画像: テストコースを疾走するLS400。ここに至るまでに100台以上の試作車をつぶした、など数々の伝説を生んでいる。

テストコースを疾走するLS400。ここに至るまでに100台以上の試作車をつぶした、など数々の伝説を生んでいる。

こうして苦労に苦労を重ねた日本初の高級サルーンが国内発売されたのは平成元年10月のこと。時まさにバブル最盛期である。クラウンを軽々と超える455 万円からという(当時としては)破格の車両価格ながら、まさに蒸発するように売れた。

もともと完成すると一台一台実走チェックするなど、量産が効くクルマではないのもひとつの原因だが、先行して発売されていた北米で大ヒットしたことにより、北米向け生産を優先していたので内需まで手が回らなかった。そのせいで国内では尋常でないバックオーダーを抱え(最盛期は2年待ちとも言われた)、Lマークのついた北米仕様のレクサスLS400が逆輸入されてさらにプレミアがついて取引されるという事態に。トヨタの意図とは少し違ったかもしれないが、結果的にトヨタのブランド力は大きく高まったのは事実だ。

画像: 新開発された4LのV8エンジン。その静粛性は「遠くでエンジンが回っているよう」とたとえられた。

新開発された4LのV8エンジン。その静粛性は「遠くでエンジンが回っているよう」とたとえられた。

だが、それもつかの間。平成4年(1992年)にバブルが崩壊すると、当初7年はモデルチェンジしないと言われていたにもかかわらず、それを待たずに平成6年に次世代へとバトンタッチせざるを得なかった。残念ながら、2代目は初代ほどの評価は得られていない。

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