斬新な流線型ボディをまとって登場したプジョー 402
プジョーはかつて、前衛的デザインで名を馳せたことがあった。近年もつい10年ほど前まで、307や407などに極端なスラントノーズのデザインを採用していた時期があったが、それはちょっと意地悪くいえば「フェラーリ症候群」のデザインみたいなもので、必ずしもフランス的なウィットのあるデザインには思えなかった。
プジョーが前衛に走ったのは、このときだけではなく古くは第二次世界大戦の前にまでさかのぼる。1935年、402が登場したときだった。比較的オーソドックスなスタイリングで知られていた従来のプジョーは、突如として路線変更して斬新な流線形ボディを採用して世に送り出したのだ。
そもそも1920年代頃まで、プジョーに限らずどのクルマも四角いボディを持ち、スタイリングに大きな違いはなかった。それが次第にボディの角を丸めて、ラジエターグリルも斜めに傾けて、だんだんとスタイリッシュなものに変革しはじめた時代であり、プジョーも順当にそうした傾向に従っていた。ところが1935年の402で、いきなり極端な流線形ボディに飛躍したのだった。
流線形ボディは、1930年代後半には、多くのメーカーが採用するのだが、このプジョー 402はその先陣を華々しく切ったもので、しかも流線形が徹底されていた。実を言うとそれより1年前に、クライスラー エアフローが流線形を採用しており、これはデザイン史の教本に必ず出てくるような歴史的なデザイン作品で、プジョーはその影響を受けていた。
同じく流線形ボディを取り入れた2社だったが、その後の展開で大きな違いを見せた。クライスラーは技術的トラブルもあったとはいえ、商業的には失敗作に終わったのに対し、プジョーの流線形は成功したのだ。
それにはフランス市場のほうが、アメリカ市場よりも、前衛を受け入れる素地があったという見方と、プジョーのデザインのほうが洗練されていて、完成度が高かったという見方もある。いずれにしても、クライスラーは間もなく流線形を修正してやめてしまうのだが、プジョーはその後302や202などもすべて同じ流線形デザインにし、全モデルをそれで統一してしまった。
402は、クライスラーと違って、ヘッドランプも流線形のグリルのスリット内に隠してしまって、まさに前衛的で、デカダンスの雰囲気も感じられた。細かいスリットのグリルとライトが融合するというのは、3008も同じようだといえなくもない。ひょっとすると、3008のデザインには、この1930年代のプジョーのデザイン ヘリテージが継承されているのかもしれない。(文:武田 隆)