ジープなどから始まった4WDシステムを、スバルがFFから派生したパートタイム4WDを乗用車で成立させた。そして昭和も終盤に入ってくると、2WD/4WDの切り替え行程不要なフルタイム4WDが登場してくる。その機構について解説する。

先鞭を付けたスバルのパートタイム4WD

4WD車はジープをはじめとする軍用車として採用され、そして発達もしてきた。昭和後期になるとその実用性の高さから、乗用車からスポーツカーにまで採用されることになる。駆動力を4輪で路面に伝えることから走破性は2輪駆動より格段に高く、ウエット路や積雪路など滑りやすい路面で大きなメリットを持つ機構だ。

画像: 1972年登場のスバルレオーネエステートバンは、パートタイム4WD機構を採用。1975年には乗用車で初のパートタイム4WDのセダンも設定した。

1972年登場のスバルレオーネエステートバンは、パートタイム4WD機構を採用。1975年には乗用車で初のパートタイム4WDのセダンも設定した。

当時の4WDシステムを大きく分類すると、パートタイム式とフルタイム式に分けられる。パートタイム式は、平常時に2WDで走行し、滑りやすい路面のときだけトランスファーによって4WDに切り替えるシステムだ。このタイプは後述するセンターデフを持たない。そのため4WDで乾いた舗装路、とくにコーナリング時に前後タイヤの回転差を吸収できず、いわゆる「タイトコーナーブレーキング現象」を起こし、エンストする場合もある。

2WDと4WDの切換るためのレバー操作が必要となるが、走破性の高さを得られるという意味では非常に利便性の高い機構と言えた。これは世界に先駆けて富士重工(現・SUBARU)が熟成させていった4WDシステムで高い評価を受けた。

画像: 1987年登場の日産 ブルーバードSSS-R。ATTESA(アテーサ)と名付けられたセンターデフにビスカスカップリングを用いたLSDを採用していた。

1987年登場の日産 ブルーバードSSS-R。ATTESA(アテーサ)と名付けられたセンターデフにビスカスカップリングを用いたLSDを採用していた。

1980年代になると、独・アウディ社がセンターデフによってフルタイム4WDシステムを与えられた「クワトロ」を発売する。これによって舗装路でも4WD走行が可能となった。だが、センターデフはオープンタイプのためにどこか1輪でもスリップしてしまうと、グリップしている3輪に駆動力を伝えられないデメリットが残った。このために、降雪路でのスタックしたような時のためにセンターデフロックスイッチが設けられていた。これは1985年のマツダ ファミリア4WD、1986年のトヨタ セリカ GT-FOURも同様の機構を採用していた。

画像: 日産 ブルーバードSSS アテーサ4WDの駆動系。写真右側(前方向)にセンターデフ、トランスファー、フロントデフなどが装着されている。

日産 ブルーバードSSS アテーサ4WDの駆動系。写真右側(前方向)にセンターデフ、トランスファー、フロントデフなどが装着されている。

さらに一歩進んだものが、センターデフにビスカスカップリングLSDを採用したフルタイム4WDだ。センターデフにシリコンオイルの粘性抵抗を加えることで差動制限し、常に4輪に駆動力を伝えることができたために本当の意味でのフルタイム4WDとなったのだ。1987年の日産 ブルーバードSSS アテーサ4WDや三菱 ギャランVR4など、1.8L・2Lターボによって200ps級のパワーを発生する4WDが登場するに至った。

昭和の最後を彩るクルマとしてフルタイム4WDが現れたことにより、以降も高性能化や利便性の高さが追求されるようになっていく。(文:Webモーターマガジン編集部 飯嶋洋治)

画像: ギャランVR-4もセンターデフにビスカスカップリングを装備したフルタイム4WDを採用。その機構を生かしラリー、ダートトライアルで大活躍した。

ギャランVR-4もセンターデフにビスカスカップリングを装備したフルタイム4WDを採用。その機構を生かしラリー、ダートトライアルで大活躍した。

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