一見奇抜なデザインだったり、そこまでしなくてもと思うほどの走行性能だったり、使い切れないほど多機能だったり・・・こうした強い個性を持つクルマはこれまで数え切れないほど登場し、数年で消えていくこともあった。ここでは数ある星の中から1990年代〜2000年代に登場した「個性が強すぎる」国産車にスポットライトを当てて解説していこう。今回は1998年10月に発売されたユニークな軽自動車「ホンダ Z(2代目)」だ

ホンダ Z(2代目:1998〜2002年)

1997年のライフに続くホンダの「昔の名前で出ています」第二弾が、1998年10月登場のホンダ Zだった。かつて1970~1974年に販売された初代のホンダ Zは、軽自動車初のスペシャリティカー。リアハッチゲート、前輪ディスクブレーキ、ラジアルタイヤ、5速MTなど、こちらも軽自動車初の装備がオンパレードだった。四半世紀ぶりに復活した「Z」も出で立ちこそ大きく変身していたものの、ホンダらしく先進的なメカニズムを満載していた。

画像: 初代の「Z」に比べるとスタイリングのインパクトは弱いが、リアフェンダー前のエアインテークが、ミッドシップの証。

初代の「Z」に比べるとスタイリングのインパクトは弱いが、リアフェンダー前のエアインテークが、ミッドシップの証。

スタイリングはスクエアを基調とした、ちょっと背が高い3ドアハッチバック。出で立ちは地味目で直接的なライバルは不在。こうした特異性はホンダならではのものだ。だが、謳い文句は「ミッドシップ4シーター4WD」と意外に華々しいものだった。

エンジンのミッドシップは商用車アクティの流れを汲むものだが、「オッ」となったのがターボ4WDのAT仕様ということだった。エンジンは何と縦置きで、その前方にトランスミッション、そこから出たアウトプットをビスカスカップリング式センターデフを介して前後にトルクを配分。リアには贅沢にもヘリカル式LSDを組み込んでいた。ミッドシップのおかげで前後重量配分は50対50という理想形を実現していた。

エンジンを縦置きとしたのは、当時ホンダにはコンパクトな4速ATユニットがなく、サイズが大きいシビック用を使わざるを得なかったという窮余の策だった。とはいえこの時代、これほど凝った4WDレイアウトを採用していたのは、ランボルギーニ ディアブロVTぐらいだったのだ。見えこそしないけれどフロア下はまさに、「スーパーカー然」としていたのである。

エンジンは660ccの直3 SOHCターボで、最高出力は64ps。ミッドシップならではのスポーティな走りを期待してしまうところだが、限りなく1トンに近い970kgという車両重量にATとあって俊敏さは控え目だった。いち早くタイヤを15インチ化(175/80R15)したこともあってか、ワインディングロードでのハンドリングにミッドシップ4WDの良さを見出すことはできたのだが・・・。

開発陣は、スポーツカーなどバリエーション拡大を目論んでいた

インテリアはフラットなフロアを実現していた。だが、その下にパワーユニットを配しているため、そのぶんかさ上げされていた。ちょっと高めで足を前に投げ出す感じのドライビングポジションは、サンドイッチ構造のフロアを採用していた当時のメルセデス・ベンツ Aクラスに似ていた。インパネもホワイトメーターを採用しているぐらいで、特にスポーツ的な演出はなし。前席左右にSRSエアバッグをいち早く採用したのはホンダの先進性だった。さらに分割可倒式リアシートなどワゴン的に使えるインテリアは「新しい軽自動車」を提案していた。

画像: 2代目 ホンダ Zの透視図、縦置きミッドシップエンジン+4WDというスーパーカー並みのレイアウトがよく分かる。

2代目 ホンダ Zの透視図、縦置きミッドシップエンジン+4WDというスーパーカー並みのレイアウトがよく分かる。

このホンダZの車両価格はターボで128万8000円と、凝ったメカニズムの割りにはリーズナブルな設定だった。しかし、ホンダの特異性ゆえか商業的には成功作とはならず、わずか3年ほどでフェードアウトしてしまう。「これが成功すればプラットフォームを活用してスポーツカーをはじめバリエーションを拡げたい」と、当時の開発陣は目論んでいただけに、残念だった。

ホンダはその後、2002年に白物家電的なザッツ、2006年にスポーティなハイトワゴンのゼスト、2008年に復活3代目のライフを世に送り出すも、ヒットには恵まれず。そうした苦節を経て2011年12月、満を持してハイトワゴンのN-BOXをリリース。するとこれが大ヒットとなり、その勢いは2代目となった現在でも続いているのである。(文:河原良雄)

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