この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第18回目は、当時オープンモデルでその存在感をアピールした、トヨタのパブリカ コンバーティブルの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

若者に人気のトヨタのオープンスポーティカー

昭和30(1955)年5月、通産省(当時)が企画した「国民車育成要綱案」、通称「国民車構想」は発展途上にあった日本の自動車産業にさまざまな影響を与えた。翌年9月、トヨタもその構想に則った1A1型小型試作車を発表、昭和36(1961)年9月にこれはパブリカとなって実を結んだ。

画像: デビュー時には36psのU型エンジンを搭載したが非力だったため、後期型(写真)では45psの2U型に換装された。最高出力は45psとなり大幅に性能が向上し走りに余裕をもたらせた。

デビュー時には36psのU型エンジンを搭載したが非力だったため、後期型(写真)では45psの2U型に換装された。最高出力は45psとなり大幅に性能が向上し走りに余裕をもたらせた。

ごく初期のパブリカはかなり質素でスパルタンな装備だったこともあり、あまり売れなかったが、38年にデラックス仕様がデビューしてからようやく人気車の仲間入りを果たした。

そして、その年の10月に登場したのが、コンバーティブル(UP10S型)である。スポーツカーというにはおとなし過ぎる性能だったが、当時の日本ではスポーツカーといえばオープンタイプを意味していたこともあって、パブリカの場合も、いわばセミ・スポーツタイプとして愛用された。

また昭和41(1966)年末には大幅なマイナーチェンジが行われ、写真の後期型となった。型式は「UP20S」となる。ツインキャブが装着された790ccの45psエンジン(2U型)が搭載され性能的にも向上し、フロントグリルのデザインも改められた。

画像: 昭和41年に大幅なマイナーチェンジを実施(写真:UP20S型)。フロントマスクを刷新し、搭載エンジンもパワーアップされた。現代の目で見ても、魅力的なスタイリングとなった。

昭和41年に大幅なマイナーチェンジを実施(写真:UP20S型)。フロントマスクを刷新し、搭載エンジンもパワーアップされた。現代の目で見ても、魅力的なスタイリングとなった。

シャシはセダンタイプから大きな変更はなく、前輪はウイッシュボーン/トーションバー独立懸架、後輪は半楕円リーフ/リジッドアクスルで、ブレーキは前後ドラムである。フロントはバケットタイプのシート、4速フロアシフトのギアボックスが付き、一応スポーティなイメージであったが、最高速は125km / hとごく慎ましいものだった。

トヨタ・パブリカ コンバーティブル(1963・UP10S/UP20S型)諸元

●全長×全幅×全高:3620×1415×1335mm
●ホイールベース:2130mm
●車両重量:640kg
●エンジン型式・種類:2U型・空冷水平対向2OHV
●排気量:790cc
●最高出力:45ps/5400rpm
●最大トルク:6.8kgm/3800rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:6.00-12 4PR
●新車価格:49万9000円

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