この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第27回目は、「ヨタハチ」の愛称で親しまれたトヨタスポーツ800の登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)
ウルトラライトスポーツカーとして誕生黎明期のモータースポーツでも活躍
鈴鹿500kmレースの第1回は昭和41(1966)年1月に開催されたが、これは日本における長距離レースの第1回でもあった。このレースには当時の日本のスポーツタイプのクルマのほとんどすべてがエントリーしていた。
トヨペット・コロナ、スカイライン、そしていすゞベレットなどだが、ヨーロッパの名門スポーツカー、ロータス・エランの姿もあった。そしてこうした(相対的な)大排気量車に混ざって出走していた一群のトヨタスポーツ800の走りっぷりが、観客の注目を集めはじめた。
少なくとも1回は給油のためのピットインを行う大排気量車と対照的にスピードこそ遅いものの、特製の69Lガソリンタンクを備えたスポーツ800はピットインなしに走り続け、じりじりと順位を上げる。
さらにチームメイト同士で行うスリップストリーム(先行車の後にぴったりつける)走行により無駄なく燃料消費を抑えるなど、巧みな作戦により終盤2-3位を占め、さらにはトップを行くロータス・エランの故障によりトップに躍り出るや、そのまま1、2位を占めて優勝してしまった。観客は事の意外さにあっけにとられた。
そしてこのエピソードが、トヨタスポーツ800(エスッパチとかドタハチ、ヨタハチの愛称があった)の最大の特徴のいくつかをはっきりと示してくれる。
極度に軽量化したエアロダイナミック・ボディによる空気抵抗の減少、そして小排気量ながら安定した、息の長い走行を武器に、より強力なライバルから巧みに逃げ切ってしまう。こうした性格のスポーツタイプは当然世界でも珍しい存在だった。