捲土重来をかけてDOHC勢に挑む
ターボでGTの走りを取り戻した”ジャパン”
昭和52(1977)年8月、スカイラインは初代モデルから数えて5世代目にフルモデルチェンジされた。その後、「ジャパン」という愛称で呼ばれた5世代目スカイラインに、ターボチャージャーを備えたスポーツバージョンのターボGTシリーズが追加されたのは、3年後の昭和55(1980)年4月のことだった。
日産にとって量産車種にターボの技術を導入したのは、セドリック/グロリア、ブルーバードに続き、このスカイラインが3車種目の試みであった。当然、スカイラインファンも熱い視線を注いだ。
ターボGTに搭載されたエンジンは、セドリック/グロリアのそれと共通のL20ET型1998cc直列6気筒SOHC。燃料供給はEGI(電子燃料噴射装置)により、7.6という圧縮比から145ps/5600rpmの最高出力と21.0kgm/3200rpmの最大トルクを得ていた。
分厚いトルクを発生するターボは魅力的で、 DOHC戦略でセリカに後れを取ったスカイラインは汚名を晴らし、これ以降はターボが主役の座に就く。
また、セドリック/グロリア、そしてブルーバードでは組み合わされるトランスミッションはいずれも5速MTのみだったが、スカイラインでは3速ATとの組み合わせも実現している。
ターボGTに設定されたボディは2ドアハードトップと4ドアセダンの2種類。人気はもちろんよりスポーティな外観を持つ2ドアモデルに集中したが、4ドアセダンも卓越した実用性と性能を兼ね備えるモデルとして高く評価されていた。
事実、スカイラインの4ドアモデルは、このモデルの後継車種となった6世代目のR30型スカイラインにも継承され、さらには7世代目のR31型スカイラインでは、当初4ドアのみで販売が行われたのだから、その人気は相当なものであった。
スカイライン「ジャパン」の中でもGTモデルには伝統のセミトレーリングアームのリアサスペンションが継承されてきた。愛のスカイラインGT(3世代目)、ケンメリGT(4世代目)で培われてきた4輪独立式を熟成させたもので、機敏なコーナリング性能と抜群のロードホールディング性能を実現。セミトレのリアサスは、昭和55(1980)年6月に追加された、Z20E型4気筒を積む2000TIシリーズにも採用された。
もっとも、このターボGTでも1230㎏の車重は大きなハンデで、当時市場に導入されていたライバル
車種、たとえばセリカ2000GTなどと比較すると、実際に体感できるスパルタンな感覚は若干足りない印象が強かった。
ボディスタイリングは、GC210型同様、スカイラインの伝統ともいえるサーフィンラインを継承した端正なもの。ヘッドランプはデビュー時の丸型4灯から角型2灯へと変化しているが、これも当時のトレンドを示しているようで実に興味深い。
インテリアで最も特徴的なのは、水平ゼロ指針のメーターだが、これは日産が総力を注いで開発したかつてのレーシングマシン、R382のデザインを受け継いだものだった。インテリアの処理は現代の目で見れば非常に古典的だが、当時、メーターを初めとする各部のデザインは、スパルタンな印象をスカイラインに求めるユーザーに大人気だった。
さらにターボモデル以外にも、昭和55(1980)年6月には異色のディーゼルGT(2.8ℓのLD28型直6ディーゼル)を追加。これを機にTIに2Lの4気筒エンジンとGT譲りの4輪独立懸架を投入するなど、モデル末期でもその進化に余念はなかった。
かくして、「ジャパン」の愛称で親しまれた5世代目のスカイラインは、昭和56(1981)年の秋にはフルモデルチェンジが行われ、新世代のR30型へと進化を遂げる。
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テストコースでの計測では0→400m加速が16.47秒、最 高 速 が193.03km/h、0→100km/h加 速 が11.85秒を記録。最高速は当時の国産トップをマークした。牙を抜かれた・・・という代名詞に甘んじてきたスカイラインにとっては久々の復活の狼煙が上がった。
日産スカイライン2000ターボGT-E・S(HGC211型)諸元
●全長×全幅×全高:4600×1625×1375mm
●ホイールベース:2615mm
●車両重量:1230kg
●エンジン型式・種類:L20ET・直6SOHCターボ
●排気量:1998cc
●最高出力:145ps/5600rpm
●最大トルク:21.0kgm/3200rpm
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:185/70HR14
●新車価格:185万2000円