トヨタ 2000GT<MF10型/1967年(昭和42年)>
「トヨタ 2000GTの血統を継ぐ3000GT」(スープラ)、「トヨタ 2000GTの再来」「トヨタ 2000GT以来の6気筒DOHCをしめすDOHC-6のエンブレム」(ソアラ)。いずれも、トヨタの高級GTのデビュー時のコピーの一節である。

トヨタ 2000GTは「トヨ2」と呼ばれて親しまれた。リアスタイルも美しく、隙がない。(ここで紹介する写真はすべて後期型)
流れるように美しいスタイリングと、最高速220km/h、ゼロヨン加速15.9秒の高性能、そして当時としては最高級の豪華な内外装備を身につけた高性能スポーツカー、トヨタ 2000GTの魅力は、それを知る人々によって今なお熱っぽく語り継がれているが、当のメーカー自身のトヨタ 2000GTに対する思い入れもこれらのコピーからヒシヒシと伝わってくる。事実、国産スポーツカーの歴史を語るとき、外すことのできない名車のひとつがトヨタ2000GTであることは誰しも認めるところである。
トヨタが市街地走行や高速道路走行も可能な、本格的な高性能スポーツカーの開発を決めたのは、昭和38(1963)年5月の第1回日本GPの直後のことだったと言われている。実際に開発に着手したのは翌年の昭和39年5月で、当時のトヨタは41年から43年にかけて、カローラ、センチュリー、スプリンター、コロナ マークIIといったニューモデルを相次いで発売する計画を進めており、生産能力もなかったことから、エンジンのチューニングや試作、生産をヤマハ発動機に委託してトヨタ・ヤマハの共同開発の形をとった。設計やエンジン他の主要部品の供給はトヨタの担当である。
試作1号車の完成は昭和40(1965)年8月で、その年の10月の第12回 東京モーターショーに美しい2シーター ファストバックのトヨタ 2000GTプロトタイプが姿を現わしている。このショーで人気をさらったトヨタ 2000GTは、その後も入念な走行テストを繰り返し、昭和41年5月の第3回 日本グランプリではプロトタイプレーシングカーのプリンスR380に1位、2位の座を奪われたが、無給油で3位に入賞。6月の鈴鹿1000kmレースには2台が出場して総合1位、2位を占めた。
さらに10月には谷田部の高速試験場で高速耐久スピードトライアルに挑戦、昼夜ぶっ通しの78時間連続走行で3つの世界新記録と13のクラス別国際新記録を樹立し、このクルマの高速耐久性を実証してみせた。
