去る2017年9月6日、国際的に活動する競売会社として有名なサザビーズが、ロンドンでオークションを開催した。数々の美術品やクラシックカーが競売にかけられる中、ひときわ注目を浴びたクルマがあった。巨大な前後フェンダー、そそり立つリアスポイラー、周囲を威圧するように並んだ補助灯…居並ぶ歴代の名車の中にあって、ひときわ存在感を誇示していたのが、RXー7のグループBカーだった。
事前に告知された予想落札価格は17万ポンド〜19万ポンド、邦貨換算でおよそ1700万円〜2830万円。これを高いとみるか安いとみるかは、これから紹介するこのクルマの数奇な運命を読んでから判断していただきたい。
遅れてやってきたマツダのグループBマシン
マツダがWRC(世界ラリー選手権)に参戦を決定したのは1981年秋のこと。当時国際格式の自動車競技(レース/ラリーほか)は1〜8の数字でクラス分けされていたが、FIAの下部組織だったFISAは、新たなレギュレーションとして1982年(試験導入)から新たにA〜Tまでの8つのクラスに再編することを発表したばかりであった。本稿で紹介するグループBは、継続する12カ月間に200台を生産する乗用車をベースに、比較的自由な改造を施すことも可能とされていた。
グループA仕様のファミリア(マツダ323)でワークス活動をスタートさせたマツダは、新たにグループBに挑戦すべく、ベース車としてRXー7を選ぶ。量産スポーツカーとして200台のレギュレーションを難なくクリアするも、すでにアウディ・クワトロに代表される4WD化の波が押し寄せており、さらにはランチア・ラリー037のようにレギュレーションの虚を突いたようなスペシャルマシンの登場も始まっていた。
そこへコンベンショナルな後輪駆動のRXー7では、如何せん分が悪かった感は否めない。欧州仕様の13Bエンジン搭載車をベースに、ブリッジポート化して300psを発揮したが、デビューした1984年にアクロポリスラリーで総合9位、翌1985年の同ラリーでは総合3位と6位に輝いたほかは目立った実績も残せず、同年を最後にWRCから一旦撤退することとなった。
その後、グループSを想定したFC3Sベースの3ローター搭載マシンの開発が立ち上がったが、カテゴリー消滅とともに開発も終わり、現在はテスト車の1台が国内に現存するようだ。
総生産台数7台のなかで唯一残った実戦未投入車
結局、このRXー7グループBは、当初20台生産される予定だったところ、1984年〜85年の足かけ2年間に全部で7台しか製作されなかった。
1今回のオークションに登場したRXー7はそのうちの1台であり、1985年に製作された正真正銘の本物である。シャシナンバーはMRTE019。MRTEとはマツダ・ラリーチーム・ヨーロッパの略だ。
しかもこのクルマ、一度も実戦に投入されることもなく、限りなく未走行車に近い(写真を見ると、なんとトリップメーターは3kmだ!)。ゆえに、グループBカーとしてのディテールが完璧に温存されている。
グループB終了後、このクルマは製作されなかったクルマの部品とともに長らくMRTEの倉庫に保存されたあと、1990年代前半にスイスのマツダ・インポーターに譲渡され、最終的に現在のオーナーであるコレクターの手に渡ったという由来をもつ。現オーナーは6カ月かけてレストアを行い、生産当時のコンディションを取り戻したという。
ちなみにオークションの結果だが、今回は買い手がつかず次回以降へと繰り越されたようだ。
■文:ホリデーオート編集部 ■写真:RMサザビーズ(Courtesy RM Sotheby's)
1985 Mazda RX-7 evo Group B Works主要諸元
●サイズ=全長×全幅=4310×1611mm ●車重=960kg ●エンジン=13B改 654cc×2 ●最高出力=300ps以上 ●最大トルク=27.0kgm ●サスペンション形式=前ストラット・後4リンクリジッド