バイクや自動車、汎用エンジンなど、私たちの身のまわりにはヤマハ発動機の内燃エンジンを採用した製品はいくつもある。しかし、ヤマハ発動機のビジネスはさらに幅広い。それこそエンジンやモーターとはかけ離れた世界でも第一線で活躍している。「YAMAHAのお仕事」第6回ではその一部を紹介していこう。
解説:飯嶋洋治
ヤマハ技術研究所の取り組みが後の大きな遺産となる
1897年に設立された日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)を前身とするヤマハ発動機が設立されたのは1955年のこと。その約2年前の1953年11月、日本楽器の当時の社長、川上源一氏は幹部社員に対して以下のような方針を伝えたという。
「オートバイのエンジンを試作する。できれば5〜6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」
この時点ですでにいくつものバイクメーカーが発足しており、業界としては最後発となるが本当にやっていけるのか? という危惧の声もあったという。しかし、川上社長はモーターサイクル製造に賭けた。
さらに1959年ヤマハ技術研究所を発足させた。ここには日本楽器の金属材料研究所や東京研究所、ヤマハ発動機の浜松研究所などを1カ所に集約。数年先の製品のための技術開発や既存技術の発展などの研究が行なわれていた。さらにここでは高性能スポーツカーの研究開発にも取り組み、YX-30が開発された。
また、モーターサイクルだけではなく、ボートやヨット、船外機などその後のヤマハ発動機の多彩な製品を生み出すきっかけともなったという。ここから先は、バラエティに富むヤマハ発動機の製品の一端を紹介しよう。