街道レーサーのルーツにもなったとも言われている、ツーリングカーレースに参戦していたマシンたち。クルマ好きはこれらを「ハコ」と呼んで愛した。連載第6回で紹介するのは、1970年代末に日本の耐久レースでも活躍した、グループ5仕様のセリカLBターボだ。

シュニッツアーが手がけ、トムスが輸入したグループ5マシン

1978年当時、富士スピードウェイで行われていたGC(グランチャンピオン)レースの前座として、スーパーツーリングレースが人気だった。ただ、フェアレディ240Z と サバンナRX-3の対決パターンが長く続きマンネリ感があったのも事実だった。

そして1979年、これを打ち破ってバラエティに富んだレースにしようとグループ5によるレースが企画された。その顔とも言える存在が、今回紹介するトヨタ セリカLBターボだ。

画像: 富士スピードウェイの最終コーナーでは、パワーに負けてフロントタイヤから白煙が上がるほどだった。

富士スピードウェイの最終コーナーでは、パワーに負けてフロントタイヤから白煙が上がるほどだった。

当時、欧州を見ればグループ5レースはポルシェ935ターボが隆盛を誇っていた。そこに1977年からチューニングファクトリーのシュニッツァーが、ドイツトヨタのオーダーによって製作したグループ5規定のセリカを走らせていた。

ただし、ポルシェ935ターボが2.8Lターボなのに対して、セリカLBターボは2Lターボ。ノンタイトル戦でわずかに1勝を挙げていたが、苦戦していた。

そして1978年12月、当時のトムス社長である館信秀氏が、ドイツのシュニッツァー社を訪れてセリカLBターボを日本に輸入する交渉を進め、富士スーパーシルエットシリーズを走ることになったのだった。新天地を日本に求めたとも言える。

画像: 1979年富士ロングディスタンス最終戦でのセリカLBターボ。ドイツではポルシェ相手に苦戦したが、活路を日本に求めた。

1979年富士ロングディスタンス最終戦でのセリカLBターボ。ドイツではポルシェ相手に苦戦したが、活路を日本に求めた。

搭載されたエンジンは18R-G型 直列4気筒16バルブDOHCで排気量は2090ccに拡大。ブースト圧は1.4kg/cm2で560ps/8800rpmを発生したというから、当時としては超弩級のもの。

ただし、初テストのときに走り出した途端にトランスミッションとエンジンの間に付けられたメインドライブシャフトが折れてしまうなどのトラブルに見舞われ、デビューレースでも3気筒になりデフが壊れてリタイアと苦戦した。

画像: 操縦性よりもパワーで走るマシン。富士スピードウェイでのストレート区間を17秒(平均速度285km/h)で走ったという。

操縦性よりもパワーで走るマシン。富士スピードウェイでのストレート区間を17秒(平均速度285km/h)で走ったという。

その後、デビュー2戦目の富士インター200マイルレースで雪辱を果たして見後に優勝。1980年はトムスがRA40に注力したため、セリカLBターボはトラストの手に渡り、1983年まで闘った。(文:飯嶋洋治/写真:トムス、他)

RA25 セリカLBターボ(グループ5仕様) 主要諸元

●全長×全幅×全高:4400×1980×1150mm
●ホイールベース:2500mm
●車重:860kg
●エンジン型式・種類:18R-G改・直4DOHCターボ
●排気量:2090cc
●最高出力:560ps/8800rpm
●最大トルク:54.0kgm/6000rpm
●タイヤサイズ(前・後):275/565-16・330/700-19

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