憧れの赤バッジ「ゴーヨンB」
プリンス・スカイライン 2000GT:昭和40年(1965年)2月発売
初代スカイラインのデビューは1957年(昭和32年)4月のこと。どちらかというとアメリカン・スタイリングを盛り込んだボディが印象的だったが、後輪はドディオン・アクスルを採用するなど技術的な先進性を十分にうかがえるモデルだった。
そのフルモデルチェンジは63年9月で、スタイリングは一転してオーソドックスなヨーロピアン・ルックへと変貌していた。
このスカイライン1500(S50D-1)は、激烈な販売競争がはじまっていた1.5Lクラスへのプリンスの切札として投入されたモデルで、従来型にあった1900はグロリア・シリーズに移し、1500のみとなった。
エンジンはG1型、直4のOHV、1484cc、最高出力は70ps/4800rpm、最大トルク11.5kgm/3200rpmを発生した。
シャシはそれまでのドディオン・リアアクスルをやめ、平凡な半楕円リーフリジッド・アクスルとなったが、グリスアップポイントをシールし、3万kmの無給油シャシとするなどの新機軸が盛り込まれていた。
さらにスポーツキットを設定したことも目新しく、これには4速フロアシフト、回転計、ノンスリップデフ、リクライニングシートなどが含まれており(価格は18万8000円、本体価格は73万円)、実はこのスポーツオプション設定がスカイラインGT誕生の伏線のひとつだったと言ってよい。
もうひとつの動機は、63年の第1回日本GPでのプリンス・チームの惨敗である。1963年を日本のモータースポーツ元年という人もいるが、この第1回日本GPのインパクトを各メーカーは強烈に受けとめ、モーターレーシングが販売に及ぼす影響に一驚したのだった。
要するに1964年3月にデビューしたスカイラインGT(S54-1)は、日本GPレースで勝つことのできるマシンとして鋭意開発されたといえるだろう。
ベースになったのはS50D-1で、そのホイールベースを155mm、全長を200mm延長し、全高は25mm低められた(ホイールベース2590mm、全長4225×全幅1495×全高1410mm)。その延長分のほとんどがエンジンルームの引きのばしに当てられた。ここにグロリア用のG7型直6エンジンを、いわば強引に押し込むためである。
この直6SOHCエンジンの排気量は1988cc、ウエーバーの気化器を3連装して圧縮比を8.8から9.3に上げ、最高出力は125ps/5600rpm、最大トルク17kgm/4400rpmを発生した。(ほかにシングルキャブの105ps型もあった。グロリア・スーパー6と同一)
4速フルシンクロのギアボックスを備え、最高速は180km/hと、当時日本最高だった(2位は日産シルビアの165km/h)。シャシのレイアウトはS50D-1とほとんど同一だが、ブレーキは前輪がディスクとなっており、タイヤは5.60-13を履いていた。
スカイラインGTは、ホモロゲーションを取るために100台が製作され、64年3月に発表され、第2回日本GPに出走した。
そのメインレースであるGT-II(1001〜2000cc)クラスには63年末に完成したポルシェ904(水平対向4気筒DOHC、1966cc、180ps、最高速263km/h)が式場壮吉のドライブで出走。
前年のGPではスカイラインスポーツで苦杯を飲まされた生沢徹が、このヨーロッパの最新鋭の本格的スポーツ・レーシングカーを激しく追いつめ、つばぜり合いの末一度は首位に立った。しかし実力の差はいかんともし難く、ポルシェが優勝した。
これにより「ポルシェと対等に戦ったスカイライン」という、いわゆるスカG伝説が生まれた。
スカイラインGTは同年5月から市販に移されるが、量産型のスカイライン2000GT-Bの名称で市販されたのは翌65年2月である。
オプションパーツに5速ミッション、70&110Lの燃料タンク、強化サスなどを設定。レース出場に即応できる豊富な品揃えであった。
プリンスはポルシェを仮想敵として、やがて本格的レーシング・スポーツカー、R380を開発し、日本のモータースポーツにいっそうの華やかさを添える。だが、そのきっかけはスカイラインGTの日本GPでの健闘にあることは言うまでもない。
スカイライン 2000GT-B 主要諸元
●全長×全幅×全高:4255×1495×1410mm
●ホイールベース:2590mm
●重量:1070kg
●エンジン型式・種類:G7型・直6 SOHC
●排気量:1988cc
●最高出力:125ps/5600rpm
●最大トルク:17.0kgm/4400rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:5.60-13 6PR
●価格:89万5000円