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現在のボルボはエクステリアも洗練されたものとなったが、70年代から90年代初頭までのボルボは、ただの四角いセダン。それが当時のライバルであるBMW635CSiやジャガーXJSを圧倒した。
グループAレースは「Flying Brick(空とぶレンガ)」伝説から始まった
1985年、富士スピードウェイで開催された「1985インターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)」でワン・ツーフィニッシュを飾ったのが今回紹介するボルボ240ターボだ。「空飛ぶレンガ」と揶揄?されたほど無骨なセダンで、正直言って少しも速そうに見えない。ノーマル車のパワースペックと動力性能は、B21ET型の2.1L 直4 SOHCエンジンから155psを発生。0→100km/hを9秒、最高速度は195km/hというものだ。
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1985年、富士スピードウェイでのワンカット。レーシングカーを思わせるのは、リアウイングと室内のロールケージのみだ。
グループAレース仕様では、1983年に連続した12カ月に5000台以上を生産するという規定をクリアした上で、そのスポーツエボリューションとして500台追加製造された240ターボエボリューションがベースとなった。エンジン型式はノーマルと同じだが、アルミ合金シリンダーヘッド、鍛造のピストン、コンロッド、クランクシャフトを使用など中身は別物だ。

搭載されたエンジンは2.1LSOHCユニット。それの内部を鍛造パーツで強化し、ギャレット製ターボタージャーで過給。インタークーラーにはウオーター・インジェクションが装備され吸気効率を上げていた。
燃料噴射装置は特製のボッシュのKジェトロニック(機械式インジェクション)を採用。ギャレット・エアリサーチ製ターボにインタークーラー、特製ウオーターインジェクションも装備した。公称動力性能は300〜340ps/40kgm。軽量化がボンネットやドアはもちろんのこと、リアアクスルでも6kg削減。ブレーキシステムは4ポットキャリパーにベンチレーテッドディスクの組み合わせとしていた。
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ドライバーの正面にはタコメーターが来る。スパイ針が7000rpmで止まっており許容回転数を示している。左下の白いメーターはブースト計のもの。
欧州では1984年からボルボ240ターボの活躍が始まる。その年のETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)とDTM(ドイツツーリングカー選手権)で1勝ずつの計2勝を上げると、翌1985年には2つのチームとファクトリーチーム契約する。
ひとつはスイスのエッゲンバーガー・モータースポーツチームで、ボルボディーラーチームヨーロッパとしてETCに参加した。ドライバーは、T・リンドストロム、S・ミュラー・ジュニア、G・ブランカテリ、P・ドュドネ。もうひとつのチームはスウェーデンのマグナムレーシングで、ドライバーはU・グランベルグ、A・オロフソン、I・カールソン。さらにDTMにはIPSモータースポーツが参戦した。
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インターTECでは巧みなピットワークも国内勢を刮目させた。タイヤ4本交換、120Lのガソリン給油を30秒でやってのけた。
1985年のETCでボルボ240ターボは14レース中6レースで優勝。DTMでは、優勝1回、表彰台5回という安定した速さを見せたパー・シュトレソンがドライバーズタイトルを獲得した。そして、その勢いのまま富士スピードウェイで開催された「インターTEC」に乗り込んできたのだ。
ボルボ240ターボは予選から圧倒的な速さを見せ、BMW635CSiや国産勢のスタリオン、スカイラインRSターボを圧倒。決勝レースでもミューラー/デュドネ組、リンドストロム/ブランカテリ組が終始レースをリードしてワン・ツーフィニッシュを飾った。ここから日本のグループAレースの歴史が始まったのだ。
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インターTECゴール後の240ターボ。カーナンバー21が優勝したミューラー/デュドネ組の車両。後ろには3位のBMW635CSiの姿も見える。