英国選手権で鍛えられたスタリオンが凱旋
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1985年のインターTECでは、スタリオンが2列目のスターティンググリッドを獲得。新鋭、中谷明彦の速さが目立った。
ベース車となったスタリオンターボGSRは、シリウスダッシュの名称を与えられたG63BT型エンジンを搭載。グロス値ながら200ps/6000rpmの最高出力、28.5kgm/3500rpmの最大トルクを発生した。駆動方式はFRで、サスペンションは4輪ストラットの独立懸架だ。当時はAE86人気などの陰に隠れる存在となってしまったが、国産スポーティカーでは最速の1台だった。
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ノーマルで200psを発生したG63BT型ユニットはグループA規定でチューニングされ、250ps以上を発生。軽量、コンパクトなボディを軽々と引っ張った。
グループA仕様スタリオンは、英国グループA選手権(BTCC)で育てられたと言って良い。1983年から参戦を開始し、1985年には優勝を含めて多数の入賞を果たした。同年のヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)のシルバーストンでは予選トップ、決勝は5位のリザルトも残している。
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グループAのお約束でノーマル部品が用いられたダッシュボード。タコメーターは10000romまで刻まれる。右上がブーストメーター。
凱旋帰国のカタチとなった1985年のインターTECでは予選から速さを見せる。決勝ではM・リュー/中谷明彦組が日本車勢最高位の4位に入賞。翌1986年からは高橋国光/中谷明彦の強力コンビが全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦。1986年のインターテックでは、強豪のTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)率いるジャガーXJ-Sに継ぐ予選2位など随所に速さを見せつけた。
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当時新進気鋭のドライバーだった中谷明彦は(中央)は、このレースをきっかけにプロドライバーとなる。右はコンビを組んだM・リュー。
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レジェンドドライバーである高橋国光もまだ現役バリバリ。85年インターTECでは、D・ブロディ、武藤文雄と組むが、翌年からは高橋/中谷コンビで活躍する。
グループA仕様のエンジンもベースはノーマルと同じ2L直4SOHCターボ。チューニングやメンテナンスはHKSが担当し公称出力250ps〜270psを発生。パワーを上げることに伴う発熱の問題は、インタークーラーの効率見直しや、ラジエターの大型化などで対処している。
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三菱というとラリーでの活躍が目立つが、スタリオンで再びサーキットに姿を現したことに、三菱ファンならずとも注目が集まった。
サスペンションは、グループA規定ということもありノーマルのストラット形式を継承しているが、国内仕様は英国仕様よりサスペンションストロークを多く取り、スプリング、スタビライザーなどもソフトなセッティングにしていた。この辺は、国内サーキット仕様とも言えるものだろう。
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85年インターテックではカーナンバー5はリタイヤとなるが、カーナンバー10の中谷/リュー組は4位に入り、日本車勢では最上位となった。
スタリオンは高橋/中谷コンビで1986年から1988年までの3シーズンに渡り全日本ツーリングカー選手権に参戦し3勝を上げたが、ライバルの台頭もありその年で撤退した。それでも、初期のインターTECで外国車勢いを向こうに回し活躍した姿は印象的だった。