ニスモが開発したスカイラインRSは高性能でリーズナブル!
![画像: 1985年のインターTECでは、日産は長谷見昌弘/鈴木亜久里という強力コンビを投入。マシントラブルなどもあり、決勝13位となる。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/10/16/08b5064494fa18e7d32a81a47203c96f93c9a089_xlarge.jpg)
1985年のインターTECでは、日産は長谷見昌弘/鈴木亜久里という強力コンビを投入。マシントラブルなどもあり、決勝13位となる。
1985年の全日本ツーリングカー選手権に参戦したスカイラインRSターボのグループA仕様は、事実上の日産ワークスであるニスモが開発した。搭載されるエンジンはFJ20ETと名付けられた直4DOHCターボユニットだ。総排気量は1990ccでボア×ストロークは89.0mm×80.0mm。ノーマルでは最高出力190ps/6400rpm、最大トルク23.0kgm/4800rpmだが、グループA規定内のチューニングにより最高出力250ps/7400rpm、最大トルク26.0kgm/4400rpmの性能を得た。
![画像: ニスモが開発したスカイラインRSターボ。レギュラーシーズンはエースを柳田春人とし鈴木亜久里とのペアで闘った。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/10/16/74744aa56f95f327014ebbadf3c52bd4b699eb48_xlarge.jpg)
ニスモが開発したスカイラインRSターボ。レギュラーシーズンはエースを柳田春人とし鈴木亜久里とのペアで闘った。
サスペンションはグループAということで、ノーマルと同様にフロント/ストラット、リア/セミトレーリングアームとなるが、ショックアブソーバー(フロントはストラットアッセンブリー)とスプリングはニスモでグループA用として設定したものとなり、減衰力調整機能も付く。サスペンションアームのブッシュはすべてピローボール化した。ブレーキはロッキード製のベンチレーテッドディスクブレーキだ。
![画像: メーターパネルこそアルミで作製しているが、大径のタコメーター以外はノーマル感を色濃く残したコクピット。グループAの初期のマシンの常だ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/10/16/8f4b6517e367728d436ea09a4e8e55b466ec29d7_xlarge.jpg)
メーターパネルこそアルミで作製しているが、大径のタコメーター以外はノーマル感を色濃く残したコクピット。グループAの初期のマシンの常だ。
ホイールは当時のグループA規定ではスカイラインの排気量からは10インチまで使用できた。しかし、オーバーフェンダーが装着できないという規定のため、フェンダーからはみ出ないために、フロント8J、リア8.5Jを使用した。ホイール径も17インチまで使用が可能だったが、フェンダーとの干渉を避けるためにフロント15インチ、リア16インチとした。この辺もグループAならではの面白さといえる。
![画像: ニスモは作るだけではなくグループAパーツの販売も行った。そのため、多くのプライベートチームがスカイラインRSターボを実戦投入した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/10/16/aa0a5b97dcaf799a20eb69e8aae920966bc98846_xlarge.jpg)
ニスモは作るだけではなくグループAパーツの販売も行った。そのため、多くのプライベートチームがスカイラインRSターボを実戦投入した。
ニスモが開発するということで、プライベートチームがパーツ購入できるというのも嬉しいところだった。車両代は別で約500万円〜600万円で当時のトップカテゴリーであるグループA仕様ができたのだから、レース参加者にとっては古き良き時代とも言える。
![画像: インターTECで予選5位、決勝5位と気を吐いたのは関根基司/関実組。関根は全日本ラリーの「スカイライン使い」として知られた選手でもある。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/10/16/35de71e02cdf1a73f4c1faabf253f4299ee07be7_xlarge.jpg)
インターTECで予選5位、決勝5位と気を吐いたのは関根基司/関実組。関根は全日本ラリーの「スカイライン使い」として知られた選手でもある。
そんなこともあり、1985年のインターTECでは出走38台のうち6台がスカイラインRSターボとなった。予選では関根基司/関実組がボルボ、スタリオンに次ぐ5位につける。決勝では、ハルトゲBMW635CSiにこそ抜かれるものの、一台のスタリオンが脱落したことにより5位に入賞。その後のスカイラインGTS-R(R31)やスカイラインGT-R(R32)の活躍を予感させる速さを見せた。