以前に連載した「昭和の名車」では、紹介しきれなかったクルマはまだ数多くある。そこで、1960年代以降の隠れた名車を順次紹介していこう。今回は「いすゞ ベレル」だ。

いすゞ ベレル(PS20型):昭和37年(1962年)4月発売

画像: サイドウインドーが前後で極端に大きさが違うデザインは評価が分かれた。

サイドウインドーが前後で極端に大きさが違うデザインは評価が分かれた。

トラック生産では実績のあったいすゞが、乗用車市場への参入を目指したのは1950年代初頭だった。しかし、乗用車とトラックは求められる性能が根本的に異なる。そこでいすゞは乗用車生産技術を得るため英国ルーツグループと提携。1953年(昭和28年)から同社のヒルマンミンクスのノックダウン生産を開始する。もともと工作技術には定評のあったいすゞは着実に国産化を進め、1957年には完全国産化を達成した。このノウハウを元に開発されたのが「ベレル」で、いすゞが独自に開発した初めての乗用車となった。ノックダウンで力をつけた他社と異なるのは、ヒルマンの製造を継続しながらベレルを併売する形をとったことだ。

搭載エンジンは1.5L(72ps)と2.0L(85ps)のガソリンに加え、日本初の乗用車用2.0Lディーゼル(55ps)の設定が注目されている。これは小型トラックのエルフ用の改良版で、バス・トラック製造では日本で最も長い歴史と伝統を持ついすゞならではのラインアップと言えた。ベレル・ディーゼルは低燃費と燃料代の安さで、5ナンバーフルサイズの最大市場であるタクシー業界から歓迎され、クラウンとセドリックが占拠する市場に参入するための大きな武器となっている。

画像: 写真はガソリンエンジンだが、販売の中心はディーゼルエンジン搭載車だった。

写真はガソリンエンジンだが、販売の中心はディーゼルエンジン搭載車だった。

車両の基本構成は、ヒルマンを手本にした閉断面角型サイドメンバー付きモノコックボディのフロントに直4エンジンを搭載して後輪を駆動するFR。サスペンションも前:ダブルウイッシュボーン/後:リーフリジッドとコンベンショナルで、高速性能より耐久性や信頼性を重視した機構だった。主力エンジンの2.0Lガソリンもロングストロークタイプで、最大トルクを1800rpmという低回転で発生することから、吹け上がりよりフラットトルク特性を重視した設計であることがわかる。これに2~4速にシンクロをつけたコラムシフトの4速MTを組み合わせ、最高速度は136km/h(カタログ値)と公表した。

コーナリングにおけるロールは少く、アンダーステア気味でよほどのワインディング以外は楽に走れた。未舗装路ではクッションよりもむしろ方向安定性に優れた性能を示し、当時としては異例に正確でレスポンスが良いハンドリングが持ち味だった。乗り心地の向上にはサスペンションをソフトにするのが普通だった時代に、操安性のためサスペンションを固め、振動や突き上げは分厚いシートクッションで吸収する手法をとっていたことは特筆に価する。

画像: フラットでシンプルなインパネ。ミッションは4速コラムMTでパーキングブレーキはステッキ式。

フラットでシンプルなインパネ。ミッションは4速コラムMTでパーキングブレーキはステッキ式。

スタイリングは欧州テイストの端正な4ドアセダンで、個性的な3角形のテールランプが注目されている。ただ後席中心のデザインとしたためか、リアドアウインドーの幅が大きいなど、アンバランスさも目に付いた。当初タクシー業界でもてはやされたディーゼルも、振動や騒音の激しさから次第に評判を落とし、販売は低迷。もともと販売力の弱かったこともあって苦戦を強いられることになる。

1962年に国産初のツインキャブ(95ps)仕様のスペシャルデラックスを追加。1965年には縦4灯式ヘッドランプの後期型にビッグマイナーチェンジを受けるが状況は好転せず、1967年に生産を終了。1代で姿を消すことになった。

画像: 三角形のテールランプと、それに合わせたトランクリッドのプレスラインが特徴的。

三角形のテールランプと、それに合わせたトランクリッドのプレスラインが特徴的。

昭和の名車のバックナンバー

いすゞ ベレル 2000デラックス 主要諸元

●全長×全幅×全高:4485×1690×1493mm
●ホイールベース:2530mm
●重量:1220kg
●エンジン型式・種類:GL201型・直4 OHV
●排気量:1991cc
●最高出力:85ps/4600rpm
●最大トルク:15.3kgm/1800rpm
●トランスミッション:4速コラムMT
●タイヤサイズ:7.00-13 4P
●価格:99万8000円

This article is a sponsored article by
''.