平成という時代は、レガシィに始まり、レヴォーグの第1世代で終わった。 平成のワゴンはスバル の一人勝ち状態。スバルが築いたスポーティなワゴン作りのノウハウは、どのメーカーも真似ができなかった。 その志を受け継ぐレヴォーグも今年フルモデルチェンジして2代目に進化する。

高速ツーリング時代に絶妙のパッケージング

まさに新しい時代の幕開けを飾るに相応しいクルマの登場だった。レガシィ、中でもツーリングワゴンの登場は、日本人のライフスタイル観を変えたといえるほどの衝撃だった。人目を惹く派手さはないものの、バブル最盛期の登場とあって、時代の空気にジャストフィットしたのだ。高速道路網がほぼ完成し、欧米型の余暇を楽しむライフスタイルが浸透しつつあった。

そこにドンピシャで嵌まったのがレガシィツーリングワゴンだった。ロングツーリングも難なくこなすグランドツーリングカーとしての高い基本性能、天候や環境に左右されない信頼のシンメトリカルAWD。そして5ナンバーとは思えないほどゆとりのあるラゲッジスペース等など。ほかのメーカーが大排気量車やスポーティカーの開発に邁進する中、スバルは実直に自社の持てる技術を投入して、このパッケージングを作り上げた。

レガシィのヒットに慌てたライバル各社は慌てて走行性能を重視したワゴンの開発に乗り出すが、時すでに遅しだった。すでに、レガシィはブランド化し、ツーリングワゴンと言えばレガシィというくらいに一般化していたのだ。打倒レガシィを掲げたライバルたちがことごとく討ち死にしていったのは、ライバル各社にとっては今ではあまり触れて欲しくない話題だろう。

そんな無敵を誇ったレガシィにも英断を下すときがやってきた。平成26年10月、北米市場のさらなる開拓のため、セダンとクロスオーバースタイルのアウトバックを残し、ドメスティックな人気に終始したツーリングワゴンをモデル廃止としたのだ。これには多くのスバリストたちは驚いた。2代目で追加されたレガシィ・グランドワゴン(クロスオーバーのさきがけである)が、北米で人気を人気となっていたことを考えると、当たり前の判断だったのかも知れないが。

だが、スバルは国内のスバリストを見捨てたわけではなかった。同年には、WRXベースのツーリングワゴン「レヴォーグ」を国内専売モデルとしてデビューさせたのだ。その卓越した走行性は、かつてのツーリングワゴンGTを彷彿とさせるもの。レガシィのDNAはこの新型に受け継がれて現在に至る。

ひとつのカテゴリーを単一車種が長期にわたって独占し続けてきた奇跡。これも平成の一大事件だったと呼ぶべきだろう。

レガシィツーリングワゴン年代記

初代:平成元年〜5年[1989−1993]

ツーリングワゴンが国内で爆発的なヒットとなり、 同時にラインアップされていたセダンもスポーツセダンとしての地歩を固めていったレガシィ。平成4年には初のオーバー 2Lエンジン搭載車「ブライトン 220」を追加して新たな 可能性の模索が始まる。

画像: 平成4年(1992年)には2.2Lエンジンを搭載した上級グレードの「ブライトン」を追加した。

平成4年(1992年)には2.2Lエンジンを搭載した上級グレードの「ブライトン」を追加した。

2代目:平成5年〜10年[1993−1998]

満を持して2代目が登場したのは1993年10月のこと。発表に先立つ同年9月9日には米ソルトレイクで世界最速ワゴンの記録を打ち立て、ハイパーGTワゴンのイメージをより際立たせている。この2代目が後のレガシィの運命を変えることになる。北米市場からの要望でワゴンベースのクロスオーバー「アウトバック」が追加されたのだ(1994年。日本では1995年8月「グランドワゴン」という車名で発売)。ボディサイズはやや拡大されて3ナンバー車となった。これが北米で大ヒットとなり、クロスオーバーカーの先駆けとなった。ちなみに国内では1997年8月にグランドワゴンから「ランカスター」に改称されている。

画像: 初代に続き爆発的なヒットとなった2代目。もちろんフラッグシップは2Lターボエンジンを搭載した「GT」だ。

初代に続き爆発的なヒットとなった2代目。もちろんフラッグシップは2Lターボエンジンを搭載した「GT」だ。

3代目:平成10年〜15年[1998−2003]

平成10年6月にデビューした3代目では、ワゴン加え、当初からランカスターをラインアップ。セダンは半年遅れて新たに「B4」というサブネームが付いて発売された。この型よりFF車がラインアップから外れ、全車AWDとなっている。搭載エンジンは、2Lと2.5Lの対向4気筒、新たに3L対向6気筒もラインアップに加わった(ランカスターから搭載が始まり、のちにワゴンとB4にも搭載)。

画像: 平成10年(1998年)に3代目に移行。半年遅れで登場したセダンには「B4」というサブネームが付けられた。

平成10年(1998年)に3代目に移行。半年遅れで登場したセダンには「B4」というサブネームが付けられた。

4代目:平成15年〜21年[2003−2009]

国内のワゴンブームもひと段落付いた平成15年5月に4代目に移行。すでにライバル車は姿を消しつつあり、市場はレガシィひとり勝ちの様相を呈していた。今まで堅持してきた5ナンバーサイズのボディ幅がついに1.7mを超えて3ナンバーとなったのもこの代からだ。そして同年10月、ランカスターが全世界統一の名称である「アウトバック」に車名変更して国内にも投入された。こちらは従来と同じく3ナンバーボディだったが、北米での生産も始まり現地での販売の主力はアウトバックになっていく。

画像: 4代目は国内のワゴンブームもひと段落した平成15年5月に登場。初めて3ナンバーボディを採用した。

4代目は国内のワゴンブームもひと段落した平成15年5月に登場。初めて3ナンバーボディを採用した。

5代目:平成21年〜26年[2009−2014]

平成21年のフルモデルチェンジで、ついに全幅は1780mm、アウトバックは1820mmまで大型化。主たるターゲットが国内から完全にアメリカ市場に向いたことを意味していた。装備もより一層ゴージャスになり、上級車へと脱皮していく。

画像: 5代目ではついに全幅1780mmとなり主たるターゲットをアメリカ市場に向けたことをうかがわせた。

5代目ではついに全幅1780mmとなり主たるターゲットをアメリカ市場に向けたことをうかがわせた。

6代目:平成26年[2014〜]

6代目の開発にあたり、初代〜4代目を彷彿とさせる新たなツーリングワゴン、つまりレヴォーグの開発が決まった。その結果、次世代レガシィは北米ジャストサイズの規格へと思い切った変更が可能となり、長年の功労者であったレガシィツーリングワゴンは消滅する。一方、レガシィB4(セダン)は、クラウンやフーガの市場で戦う上級セダンへと進化し、アウトバックは上級クロスオーバーカーへとポジションをアップして現在に至っている。

画像: ツーリングワゴンは消滅し、国内はアウトバックとB4のみのラインアップになった現行型。すでに北米ではアウトバック、B4とも次世代型にフルモデルチェンジしているが日本導入時期は未定だ。

ツーリングワゴンは消滅し、国内はアウトバックとB4のみのラインアップになった現行型。すでに北米ではアウトバック、B4とも次世代型にフルモデルチェンジしているが日本導入時期は未定だ。

画像: ツーリングワゴンの後継車として国内市場をメインターゲットとして投入されたのが新型車の「レヴォーグ」。こちらは間もなく2代目にモデルチェンジする。

ツーリングワゴンの後継車として国内市場をメインターゲットとして投入されたのが新型車の「レヴォーグ」。こちらは間もなく2代目にモデルチェンジする。

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