ターボ装着で40psアップ
まずは1983年2月、ターボ化され一挙に40psもアップしたFJ20E・Tを搭載したスカイラインRSターボが発売された。ギャレット社製T3タービンを採用し、最高出力は190ps/6400rpm、最大トルクは23.0kgm/4800rpmと一足飛びに進化した。当時の日産は、排出ガス規制後のスポーツエンジンとしてターボに全力投球していた時代だけに、そのフラッグシップ的な意味合いも持たせたかったのだろう。T3型タービンは当時のL20型ターボにも用いられていたが、セドリックなど上級車にも搭載されたそれとは根本的な考え方が異なり、T3のセッティングはA/R=0.63という高速型になっていた。
ターボ化により圧縮比は8.0まで下げられていたこともあり、低回転域でのトルクはFJ20Eよりも薄く感じられたものだったが、3500rpmあたりから本格的な過給が始まると、暴力的な加速がドライバーを襲った。当時のシャシがこのパワー特性に耐えられるはずもなく、ハンドリングはシビアで、意のままに操るには相当なテクニックが要求された。ジャジャ馬ながら、刺激的でもあった。
同年8月にはマイナーチェンジを実施し、RS系はグリルレスのいわゆる「鉄仮面」へとフェイスリフトされた。同時期にはシルビア/ガゼールがフルモデルチェンジしてS12型となり、こちらにもFJ20E・T 搭載車が設定された。もっともエンジンルームがR30と異なるため、インテーマニフォールドが短縮され、サージタンクも小型化されるなど細部が変更されている。
さらにインタークーラーを組み合わせ205psに
さらにFJ20の快進撃は続く。1984年2月、世界で初めて4バルブDOHCターボにインタークーラーを組み合わせ、その最高出力はついにリッター100psを超える205ps/6400rpm、最大トルク25.0kgm/4400rpmに達した。「史上最強のスカイライン」を謳ったこのスカイラインRSターボは、当時人気のあったレースカテゴリーにちなんで“ターボC”と呼ばれている。最高出力がクラス最高にアップする一方で、エンジンの圧縮比は8.5に上げられ、ターボのA/Rも0.48に変更、中低速トルク域のトルク特性や過渡特性はマイルドになり、RSターボで感じられたピーキーさは影を潜めた。そのぶん刺激が少なくなったと言われればそれまでだが、いずれにせよ当時の若者が熱狂し「強いスカイラインの復活」を強く印象付けた格別の存在であった。1984年8月の小改良で、プラズマスパークを採用して低回転時の燃焼を安定させる世界初のシステムを採用した。
まさに一世を風靡したFJ20だが、1985年にスカイラインが7代目(R31型)にフルモデルチェンジしてラインアップから消滅、翌1896年2月にはシルビアもマイナーチェンジして、FJ20Eから新世代4気筒のCA18DETに換装。FJ20Eはわずか5年余の短い期間しか生産されなかった。