スポーツピックアップという新たなジャンルを作ったハイラックス
1980年代後半、購買意欲の盛んな若者たちの間で「リーバイス501」、「アヴィレックスB-3」、「バンソンの革ジャン」などのアメリカンスタイルが流行していた。そして渋谷の公園通りには車高を上げた派手なピックアップトラックがずらりと並らんでいたのもこの時代だ。そんなアメリカンカジュアルを目指す若者を支えたピックアップの代表格が「ハイラックス」だった。
ハイラックスは1968年、トヨタと日野自動車が業務提携を結び、トヨタ「ライトスタウト」、日野自動車「ブリスカ」の2種のピックアップを統合したことからスタートする。初代ハイラックスは、3名乗りで積載量は1000kg、荷台長は1850mm。トヨエースと同じ1.5Lの2R型エンジン(最高出力70ps)を搭載し、フロントはコイルタイプのダブルウイッシュボーン、リアはリーフリジッド仕様だった。
1972年に登場した2代目は、歴代初となる3速ATを採用し、それまではベンチタイプだったシートをセパレート式にして2名乗車に変更した。エンジンは従来の1.6Lに加え、105psを発生する2Lエンジンを設定した。
商用車からのイメージチェンジ脱却に貢献した3代目
そして1978年、カタログにはオレンジ色のハイラックスが表紙を飾り、「日本生まれのアメリカ育ち」とコピーを掲げ、大きくイメージチェンジを遂げた3代目が登場。フロントサスペンションはコイル式からトーションバー式に変更され、乗用車的な装備が与えられた。さらに翌年には、2Lガソリンエンジンの18R-J型(最高出力98ps)を搭載した4WDが登場するが、シングルキャブ、パワーステアリングなしの1グレードのみだった。
しかし、お世辞にも近代的とは言えず、前年に誕生した日産ダットサン4WDにリードを許した形での登場となった。しかし、1981年に2.2L直4のL型ディーゼルエンジン(最高出力72ps/最大トルク14.5kgm)を投入。さらに5名乗車のダブルキャブの追加するなど、「レクレーショナルビークル=RV」としての展開を開始した。
悪路走破性が高い4輪リーフリジッドサスペンションが功を奏して、ハイリフトやオフロード性能を追求したクロカン仕様など、個性に富んだカスタムモデルを作るユーザーも多かった。
1983年、4WDモデル初のモデルチェンジを実施した4代目が登場。シングルキャブとダブルキャブの2種のボディに、特徴的なブリスターフェンダーを備えた。エンジンは2L直4ガソリンの3Y-J型(最高出力105ps/最大トルク14.5kgm)と2.4L直4ディーゼルの2L型(最高出力83ps/最大トルク17.0kgm)を設定した。なお、ハイラックスサーフはこのモデルをベースにして登場した。
フォルクスワーゲン タローとしても販売された5代目ハイラックス
すでにRVの地位を確立していたハイラックスは1988年に5代目を投入した。ガソリンエンジンの3Y-J型に加え、ディーゼルエンジンは2.8Lの3L型(最高出力91ps・最大トルク19.2kgm)に換装し、ディーゼルエンジンとダブルキャブの組み合わせで直実に販売台数を伸ばしていった。また、アーチを描くボディラインや乗用車を意識したインテリアなどを採用したことでニーズの多様化に対応した。さらに1991年にはフロントサスペンションをダブルウイッシュボーン/トーションバーに変更し、快適性と走行安定性を向上させた。
1989年、このモデルはトヨタとフォルクスワーゲンとの連携により、「フォルクスワーゲン タロー」の名で販売された。「タロー」とは日本名「太郎」から命名された。
そして1997年に登場した6代目では、リアに2名分の補助シートを備えながら充分なラゲッジスペースを確保した、ワイドボディエクストラキャブを新設した。これにより、シングル、エクストラキャブ、ダブルキャブという豊富なバリエーションにより、さらに人気に拍車がかかった。
その後、RVブームが一段落するとピックアップの国内需要も落ち着き始め、2004年に国内販売を終了した。しかし、世界からのニーズは俄然高く、新興国向けに7代目ハイラックスを投入し、180カ国以上の地域で累計約1730万台を販売した。
また、2017年には第二次RVブームの到来と共に、2.4Lディーゼルターボエンジンとダブルキャブの設定でハイラックスが国内モデルとして復活した。このニュースはハイラックスファンだけでなく、オフロード4WDファンにも嬉しい知らせだった。世界のピックアップトラックモデルを牽引する存在として、今後も成長を続けて欲しい1台だ。