ランボルギーニビジネスを大きく変えたガヤルド
ランボルギーニの自動車製造がビジネスとして成り立つようになったのは、ごくごく最近のことである。1970年代始めに創始者であるフエルッチョ・ランボルギーニが会社を手放してから1999年にアウディによって買収されるまで、ファイティングブルは時代の波に翻弄され続けた。
設立から45年の月日が経った今、ランボルギーニのビジネスはようやく順調に推移しはじめている。
2002年までは年間わずか250台という規模だったものが、ムルシエラゴやガヤルドといったモデルを世に送り出すことで、今ではその十倍の台数を捌くまでに至った。この3年間における発展が特に顕著で、売り上げは倍に、利益に至っては10倍に達している。
そして、現代のランボルギーニビジネスにおいて最も貢献度の高いモデルはといえば、年間総生産台数の8割以上を占め、バリエーション展開を積極的に推し進めるガヤルドである。
ステファン・ヴィンケルマン社長が「われわれは腰を落ち着けて1年に1車種ずつ、ニュースとなるモデルを増やしていくつもりだ」と常々口にしてきた通り、ガヤルドは、2005年のSEを皮切りに、2006年のスパイダー、2007年のスーパーレッジェーラと続き、そして今年2008年にはマイナーチェンジによるLP560-4が登場している。
ガヤルドの登場は2003年のジュネーブショーだ。アウディ傘下となって初めての新型車となった兄貴分のムルシエラゴが、ディアブロの言わばビッグマイナーチェンジモデルであったのに対して、ガヤルドはボディからシャシ、V10エンジン、パワートレーンに至るまでアウディのテクノロジーとサプライヤーネットワークをふんだんに活用した、正真正銘のオールブランニューモデルである。
いずれのモデルもサンタガタ・ボロネーゼ(ランボルギーニの本社があるモデナ近郊の村)が開発の主導権を握ってはいるが、ドイツの血がより濃くなった(ように思える)ガヤルドが、21世紀のランボルギーニビジネスを大きく変えたといっても過言ではない。