短期連載「自動車博物館巡り」、今回は広島県福山市にある福山自動車時計博物館。ここには世界的にも現存する個体数が少ないと言われる希少なスポーツモデルが続々が展示される。しかもそのすべてに「乗り放題」だというから驚く。まさに大盤ぶるまい、なのだ。(後編/Motor Magazine2021年2月号より)
華麗なるフェアレディの黎明。オープンスポーツも大集合
館内で赤白2トーンボディで、ひときわ目立つのがフェアレディSPL213。60年前に日産が、北米市場を狙って開発した。
1950年代、アメリカは戦後の繁栄を謳歌していた。クルマで見ればテールフィン付きフルサイズのボディ、大排気量のV8エンジン、ATのイージードライブが主流だった。そこに輸入車として割って入るにはコンパクトで高性能であることが求められた。そこで注目されたのが、イギリス製のライトウエイトスポーツカー、MGミジェットやトライアンフTRなどだった。アメリカ車では得がたい走りの良さで人気を博したのだ。為替レートで安価を実現したのも、追い風となる。
こうした動きを見ていたのが日産だった。1960年にはフェアレディの名を冠したオープン4シーターのSPL212を北米に輸出。この車名は当時流行っていたミュージカル「マイフェアレディ」に由来する。が、わずか34psの1Lエンジンはさすがに非力でイギリス勢には歯が立たず。SPL213で1.2Lの60 psを搭載し最高速132km/hをなんとか実現する。
1962年にブルーバード310をベースにした後席が横向きでオープン3シーターのフェアレディ1500(SP310)が、71psのセドリック用エンジンを搭載して登場する。翌1963年の第1回日本GPではMG−BやトライアンフTRを抑えて優勝し、国産初のスポーツカーとなる。GP時のツインキャブ仕様追加を機に2シーター化。1965年には90psの1.6Lに換装したフェアレディ1600(SP311)に進化、最高速は165km/hに。北米でダットサン スポーツ フェアレディとして人気を博す。