1989年に登場した「マツダ ロードスター」は、すでにデビューから30年も経過している。そしてマツダも2020年に創立100周年を迎えるなど、祝事が続く節目にふさわしい企画として、ロードスターを軸に広がった貴島さんの人脈を交友録として連載する。第1回の今回は貴島氏のプロフィールから紹介しよう。

楽しいクルマを作りたいという情熱とともに「人馬一体」が走り出す!

初代ロードスターの開発は順風満帆とはいかず、いくつもの試練が待ち構えていた。前代未聞のライトウエイトスポーツカーの開発だっただけに、マツダの社内では手弁当でも参加したいと、当時の主査:平井敏彦氏のもとにエンジニアたちが集まった。その中のひとりに貴島氏がいた。

これより前に貴島氏がシャシ設計として関わったスポーツカーは、アクロポリスラリーに参戦するRX-7(1985年に3位入賞)。ここで磨かれたスポーツカー作りのノウハウをひっさげて、本来の業務であるFR系乗用車(ルーチェ、コスモ)のシャシ設計のかたわら、時間を作って初代ロードスターの開発に参加した。

潤沢な予算も人員もなかったが楽しいクルマを作りたい情熱は、どの部署にも負けなかった。FR、2シーター、オープンの3要素をマストとし、いかに心躍る1台に仕上げられるか試行錯誤が続いた。ここで掲げたコンセプトは「人馬一体」は、生き物のような温かみを持った存在であることを重視した。初代ロードスターで立ち上げたこのDNAは、現在もすべてのマツダ車に踏襲されている。

画像: マツダ サバンナ RX-7も貴島さんがシャシ設計に関わったモデルだ。

マツダ サバンナ RX-7も貴島さんがシャシ設計に関わったモデルだ。

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