「温故知新」の逆というわけではないが、最新のプジョー車に乗りながら、古(いにしえ)のプジョー車に思いを馳せてみたい。今回は、最新のプジョーのフラッグシップセダンである「508」から、203や504など歴代のミドルセダンを振りかえってみよう。(タイトル写真は、上が203、下が現行型508)

ミシュラン製のラジアルタイヤを履きこなした「足」

画像: プジョー初の500シリーズとなった504。まだ控えめだが、プジョーとして初めて「吊り目」のデザインを採用したことで知られる。

プジョー初の500シリーズとなった504。まだ控えめだが、プジョーとして初めて「吊り目」のデザインを採用したことで知られる。

403も404も、203の設計を更新して少しずつ大型化したもので、ここにプジョーの堅実さが現れている。もちろんその裏には、戦後の復興にむけて進んでいるメーカー自身の状況もあり、慎重な経営をするしかなかった。そのためか、この時代のプジョー車は「地味だが堅実」と評されるのが常だったのだ。そのかわり、堅実な商品開発の成果で品質の良さと耐久性はずば抜けており、それがプジョー車の評価を高めた大きな要素にもなっていた。

もちろん地味なだけではなく、走りの良さも定評があった。ロールはするけれども、ロードホールディング性に優れており、一見保守的なFRであっても、玄人好みで的確な設計がなされていた。

また「地味だが堅実」なクルマづくりばかりではなく、最新技術を取り入れる先進性も持っていた。たとえば戦後すぐ世界に先駆けてミシュランが発売したラジアルタイヤを、地元フランスということもあったと思うが、プジョーは203に早くも履かせていた。

ラジアルタイヤは従来までのバイアスタイヤより硬く、快適な乗り心地を保つための対策が必要だった。そこでプジョーは、路面からのショックを逃す機構、今では当たり前となっているサスペンションのコンプライアンスを、他に先駆けて404でいち早く採用した。今に受け継がれるプジョー伝統の職人芸の足さばきは、この頃すでに確立されていたようである。

経営状況も回復し始めていた1968年、404の後継モデルとして初めて500番台にステップアップした「504」が発表された。この頃には、下に204や304もラインアップするようになったことから、バランスをとって上の500番台へシフトしたというわけである。ただこの504も、かなり更新されていたといえ基本的に203以来の設計を維持しており、さらに次の505まで、その系譜は続いたのだった。(文:武田 隆)

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