初代ロードスターが発売された時は、クルマに興味がなかった
「初代NAが発売されたころ、自転車レース競技やトライアスロンをやっていたので、どこへ行くにも自転車。免許すらいらないと思ってました(笑)。
長野で就職した際、やはりクルマがあったほうがいいかなと思って、若いうちしか乗れないオープンカーにしよう、と。
いろいろ調べると、ロードスターというクルマがある。スーパーカー世代にとって、リトラクタブルヘッドライトは魅力でした。当然新車はムリで、中古車を千葉県の習志野まで買いに行きました。乗ってみたら楽しかったけど、この時はまだ、ロードスターが特別だとは思っていなかった。
ところが、自分でクルマいじりをするようになり、整備書を買ってからクルマはボルトとナットの世界だということがわかり、それから変わりましたね。それまではセンターコンソールを割ったりしてましたから(笑)。
1997年には、いろんな人とのつながりを持つため、ロードスターの情報発信を中心とした「OPENCAFE」というサイトを立ち上げたんです。
当時はまだネットが今ほど普及していなかったにも関わらず、毎日400人ほどが訪れてくれました。このサイトでつながった人たちと、初めてロードスタージャンボリー・オフラインで会った時に「人と会うっていいな」と思って、オフライン活動をすることになり、「おはくま」なども始めました」
こうして人脈を広げたおかげで、初期のブランドの立ち上げとなるメーターパネルの製造が始まる。
「すでにある商品でしたが、こんなのあったら買うよね?という、プライベーターが欲するものを、提供していきたいと思いました」と吉村さん。
すごいのは、アドバイザーにマツダのOB(元リバーサイドホテルの住人)がいらして、テストをしてもらっていること。たとえばND用のウインドブロッカーは、ND乗りの製造担当者が垂直にセットすると反射して、運転しづらくなるからと、わずかに内装の下部に反射がいくよう角度を付けてありました。それをすぐに見破られ、「メーカーの方の目は鋭いな、と思ったエピソードでした」とのこと。
加えて女性もオープン走行を快適に楽しんでもらうため、InstagramやYoutubeで活躍している馬琴さんや、まるゴシックさんやなどに協力してもらい、ヘアスタイルへの影響などの検証を行うなど、見た目のデザインだけではない「こだわり」が詰まっているのだ。(文:ロードスターBROS.編集部)