フィアット・ムルティプラ(2000年〜2010年)
もしも「世界変なクルマ大賞」があったら、間違いなくトロフィーを手にしているのがフィアットのムルティプラだ。
何が変かって、親亀の上に子亀みたいに、クルマを2台重ねたかのような特異なデザインだったのだ。丸目のヘッドライト(ロービーム)が通常の位置にあり、2段腹のように盛り上がったAピラーの付け根あたりにハイビームが離れてセットされるという奇怪ぶりだった。バンパー内のフォグランプも含めると離れた位置に丸目のライトが3灯並ぶ。
デザインはフィアットのチェントロ・スティーレ。そう内製だった。これにGOサインを出した役員も偉い。
デビューは1998年秋のパリサロン、2000年4月から市販開始された。フィアットはこのムルティプラを「ピープル・ムーバー」と位置付け、ルノー・エスパスをライバルとしていた。
ムルティプラの初代モデルは1955年に登場している。RRのフィアット600のキャビンを前方に伸ばして、3列シート6人乗りの細長いワゴンに仕立てていた。
一方の現代版はというと、2列シート6人乗りだ。「幅はたっぷり、全長は短め」と、初代の逆を行っていた。全長×全幅×全高は4005×1875×1670mm(日本仕様)。サイズの方も「ちょっと変」だった。
前席の横3座はユニークだった。このレイアウト自体は1998年末に日産ティーノが先んじていたが、中央席は小ぶりな子供用、シフトはコラム式としていた。ムルティプラはというと、中央席は大きめで、ダッシュボード中央には5速のMTシフトが鎮座していたのだ。
前席に3人乗車したら中央席は後方にスライドし、シフト操作に支障がないようにする。この中央席は畳んでテーブルとしても使えたのは便利だった(後席も同様)。
エンジンは103psの1.6L版直4DOHCだったが、先述のMTを駆使すれば意外にも走りは活発だった。
奇抜さゆえにヒットには至らず。それでも世に大いなる影響を及ぼした
日本には2003年春から導入開始。街を走ると注目度は半端じゃなく高かった。中でも子供たちが指を差して笑っていたのが印象的だった。
クルマとしては4mの全長の割にホイールベースを2665mmと長く取っていたことや、4輪独立サスペンションによって完成度も高かった。が、いかんせんデザインは「???」だった、世界的に。
発想は良かったが、なかなか販売に結びつかなかった。となればフィアットとしても背に腹は代えられない。2004年ジュネーブショーで大幅なマイチェン版を発表する。当時、フィアットのデザインを手掛けていたイデアに託したのである。
その結果、ヘッドライトは角型となり通常の位置に移動、フロントグリルも含めフツーの顔になった。2段腹はボンネット一体としてフロントのボリュームは大幅にアップ。テールランプもリデザインされたが正直、全体のバランスは崩れてしまった。
というかムルティプラらしさがなくなり、存在意義すらも希薄になって行った。残念!
ムルティプラの影響を受けて登場したと思しき国産車が、いくつかある。たとえば2004年にホンダから登場したエディックスだ。横3座×2列と発想を同じくするが、こちらは中央席を大きく後方へスライドすることで、たとえば孫が、後席の祖父母とコミュニケーションを図りやすくする狙いがあった。しかし、こちらもムルティプラ同様に発想倒れで終わってしまった。
デザイン面でムルティプラの影響を感じさせたのが、2010年に登場した日産のジュークだろう。フロントのランプを上下に分け、下の大きな丸目をヘッドランプにするという意外性が人気になったが、そこにはムルティプラのランプデザインの要素が感じられた。
思うにムルティプラの特異なデザインセンスは、後の多くのモデルに影響を与えたのかもしれない。(文:河原良雄)