この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第7回目は、フルモノコックボディと4独サス、「人間優先」の設計思想で、軽自動車の革命を起こした「スバル360」だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

昭和33年前期型発売ののち、昭和35年のマイナーチェンジより信頼性を増す。

画像: 昭和35年後期型のコンバーチブルは、斬新で多くのスバルファンを惹き付けることになる。インスツルメントパネルやステアリングはこれが初期型のもの。

昭和35年後期型のコンバーチブルは、斬新で多くのスバルファンを惹き付けることになる。インスツルメントパネルやステアリングはこれが初期型のもの。

昭和33(1958)年3月に発表されたスバル360は、軽自動車とは思えない動力性能と広いキャビンスペースが42万5000円で買えると大評判になり、一躍軽乗用車のトップセラーの座に着いた。時代背景を見ると昭和30(1955)年5月に通産省重工業局自動車課でまとめた「国民車構想」があった。政府のバックアップで大量生産しやすい価格で売ろうという構想だ。

この基準は、速度100km/h以上、大修理なしで10万km走行可能、平坦路60km/hで30km/ℓ以上の燃費、0→200m性能15秒以内、定員4名(うち2名は子供)、車両重量400kg以下、排気量350cc ~ 500cc、そして価格が25万円以下(月産2000台)というものだった。ただ、この構想は看板だけで国は結局バックアップしなかったため尻すぼみに終わった。スバル360も、国民車構想に則ったものと言われることがあるが、設計者の百瀬晋六はこの構想に批判的だったという。クルマの開発には独自性を持たなくてはならないという信念があったからだ。ここがスバル360が名車としての地位を獲得した大きな理由だろう。

画像: 昭和38年のマイナーチェンジ(写真)ではインパネの造形も一新。速度計が角型になっている。

昭和38年のマイナーチェンジ(写真)ではインパネの造形も一新。速度計が角型になっている。

好評の勢いをかって、昭和34(1959)年8月にルーフとリアウインドウをキャンバストップとした「コンバーチブル」を、同年12月には初の貨物車登録となる2シーターでサイドウインドウ部を可倒式として荷物の積み卸しを容易にする「コマーシャル」を追加していく。

だが、コストと軽量化を最優先した設計だったため、問題点も浮上した。ひとつはトランスミッションがノンシンクロの3速MTだったこと。さらに、リアにエンジンと一体で横置きされるミッションのシフトリンケージを簡素化するため、シフトパターンが特異な横H(エ)型だったことも指摘されていた。もう1点はショックアブソーバが簡素なフリクションディスク式のため、未舗装路走行時のダンピング不足が避けられなかったことだ。

こうしたモデル初期の未消化な部分を解消するため昭和35(1960)年の2月と9月の二度にわたって大幅なマイナーチェンジを実施し、同時に生産計画の見直しによって39万8000円という低価格化も本文実現したのが「60年後期型」と「61年前期型」である(同年10月には排気量を423ccにアップしたスバル450も発売されたが360の人気には及ばず、国内発売は6年間で1311台にとどまった)。

画像: EK31型空冷2気筒エンジン(写真)は、デビュー時の16psから改良を重ねて18psのEK32型に進化した。

EK31型空冷2気筒エンジン(写真)は、デビュー時の16psから改良を重ねて18psのEK32型に進化した。

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