以前に当Webモーターマガジンでは、武田 隆 氏による「プジョー今昔ストーリー」という連載を行っていた。今回、ニューモデル「408」の登場を機に、その特別編として、408に乗りながら400シリーズの歴史をふり返ってみたい。(タイトル写真は、右上が402、左下が408)

3ボックスセダンを維持し続けたプジョー

画像: シンプルなスタイリングの「404」。当時流行のテールフィンもデザインされていた。1960年に登場。

シンプルなスタイリングの「404」。当時流行のテールフィンもデザインされていた。1960年に登場。

次いで1960年登場の「404」は、シャープになったがオーソドックスなセダンボディは維持。404はピニンファリーナによるシンプルなデザインで、この時代の典型的デザインといえた。

続く「405」は、しばらく間をおいて1987年に登場。これもピニンファリーナのデザインで、凛とした3ボックスセダン ボディは美しく見えた。ちなみに同時期、ひとつ下の305もセダンであり、さらに下の205はハッチバックだったが、205の前の204は3ボックスセダンだった。

フランスは多用途性のあるリアゲート付きボディ形状をユーザーが早くから好んだ国で、シトロエンとルノーは最上位車種までハッチバックボディを採用していたのに対し、プジョーはそれとは一線を画し、フランス車でありながらも国際標準的な3ボックスセダンを堅持していた。

次の世代で、下位の306は2ボックス ハッチバックがメインになったが、400シリーズでは「406」も、さらにその後継の「407」もセダンだった。ただし407はノーズがフェラーリのようにシャープになり、全体に流線型形状を強めていた。これは当時のプジョー全体の傾向で、純粋にデザイン的な理由だったと思うが、今にして思えばセダン カテゴリーの危機的状況を反映していたのかもしれない。このころから世界的にSUVやミニバンなどの影響で、セダンの不人気が目立ち始めていた。

408の登場は、ちょっとした歴史的な出来事だった

画像: スラントノーズとともに、大きく傾斜したリアウインドーが特徴だった「407」は、2004年に登場。これもワゴンのSWやクーペが設定された。

スラントノーズとともに、大きく傾斜したリアウインドーが特徴だった「407」は、2004年に登場。これもワゴンのSWやクーペが設定された。

407のあと、1クラス上の「508」が407の後継役を担ったが、2018年登場の2代目508は一見セダンのようでありながら実はリアゲート式を採用し、しかもファストバック風にリアウインドーが寝ていた。それでも508はリアにノッチがあり、セダン的に見せていた。それが今回の「408」は、もはや完全に3ボックスセダンではなくなってしまった。508ではワゴンのSWも設定されたが、408ではそれもなくなり、ひとつのボディで兼ねるようになった。

セダンの衰退は世界的な傾向で、たとえば日本のセダンでは保守本流のクラウンも、現行車種で最初に出たのはファストバックのクロスオーバー的モデルで、まさに408と同じ。奇しくもクラウンは戦後にプジョー403と同じ1955年にデビューし、3ボックスセダンの本流をともに歩んでいたが、再び歩調を合わせたのだろうか。もっとも、クラウンはセダンも登場するようだが。

リアゲート付きボディが好まれるフランスで、プジョーだけは「正統派」の3ボックスセダン スタイルを守っていたが、ついに408でそれが変わった。これは、ちょっとした歴史的な出来事といえるだろう。(文:武田 隆/写真:ステランティス ジャパン、ほか)

画像: 「408」の登場は、プジョーにとって歴史的な出来事といえるかもしれない。

「408」の登場は、プジョーにとって歴史的な出来事といえるかもしれない。

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