以前に当Webモーターマガジンでは、武田 隆 氏による「プジョー今昔ストーリー」という連載を行っていた。今回、ニューモデル「408」の登場を機に、その特別編として、408に乗りながら400シリーズの歴史をふり返ってみたい。(タイトル写真は、右上が402、左下が408)

今までになかった新しい車種「408」

以前の「プジョー今昔ストーリー」では、400シリーズを振りかえることはなかった。それは、当時のプジョー車には400シリーズがラインナップされていなかったから。そこで今回の「408」登場を機に、400シリーズの歴史をあらためてふり返ってみたい。

画像: 今までのプジョー車にはなかったユニークなスタイリングで登場した、「408」。

今までのプジョー車にはなかったユニークなスタイリングで登場した、「408」。

408は、プジョーのラインナップに今までなかった新しい車種だ。407に続く400シリーズの新型ということにはなるのだが、407が消えてから10年以上たっている。5ドア ファストバックという車型は今までにないもので、プジョーにとって新境地だ。

このボディスタイルをステランティス グループは、セダンとステーションワゴンとSUVの融合と謳っている。リアゲート付きのファストバックボディであるうえに、地上高を高めるなどしてSUV的に仕立てている。この成り立ちは同門シトロエンのC5Xと同じだが、ボディはまったく異なる。

ステランティスによれば、C5Xと似た車型になったのは偶然で、むしろ408は308の派生モデルという側面があるようだ。プラットフォームは同じEMP2のver.3だし、内装はほぼ同じ。端的にいえば、308の上級車種といえる。ただスタイリングは308とは異なり、ファストバックであるだけでなく、全体の面構成がシャープで精悍な印象だ。

走っても、やはり308を上級化したような印象があり、プジョー ブランドらしく少しスポーティな仕立てを感じる。ハイブリッドは重厚で静かな印象だが、ガソリンモデルでは活気ある3気筒1.2Lエンジンのおかげで楽しく走れそうだ。走りの点ではよりコンパクトな308が優ると思うが、全長4.7mの車体でも軽快さが味わえる。多少地上高が高くても純SUVとは違い、車高の低いセダンのような走りのフィールである。

時代とともに変化してきた「400」シリーズ

画像: 1934年に登場した、400シリーズのルーツとなる「401」。わずかに流線型をとりいれていた。

1934年に登場した、400シリーズのルーツとなる「401」。わずかに流線型をとりいれていた。

プジョーの新種408は、時代が生んだモデルといえる。過去の400シリーズをふりかえると、やはり時代とともに変化してきた。400シリーズは、プジョーにおけるミドルクラス セダンの系譜である。最初の「401」は、1934年に登場。301と601の間の車種としてラインナップされ、3ケタの数字による車名の車種構成は今と同じだった(今では4ケタ車名も加わったが)。

401はわずかに流線型の傾向があり、リアエンドも少し傾いていたが、次の1935年登場の「402」で本格的な流線型ボディとなった。1930年代後半は水滴型の流線型デザインが世界的に大流行した時期で、402はその最右翼的存在だった。

402は「ファストバック」といえるくらいルーフ後半が傾斜して、いわゆる6ライトウインドーも採用し、一見408の先達のようだ。けれどもあくまでセダンであってリアゲートはなく、純粋にスタイリングの理由でリアが傾斜していたにすぎなかった。408のようにワゴン的な多用途性を持つものではなかった。

第二次世界大戦後、1955年に登場した「403」は典型的なセダンボディだった。リアのトランクが独立した形状の3ボックスセダンというのは戦後に出現した新しいスタイルで、403は一見地味でもしっかり時流に乗ったスタイリングといえた。戦後の400シリーズは、世界の大半のファミリーカーと同様に、この3ボックスセダンを踏襲していくことになる。そして、それにワゴン仕様を設定するのが定番になった。

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