四輪独立懸架で高いコーナリング性能
ヒルマン・ミンクスの後継モデルとして、ベレットがデビューしたのは昭和38(1963)年6月のことだった。まず曲面に囲まれたコンパクトなボディシェル、そして独特な走行特性が人々の心をとらえた。その秘密は後輪のサスペンションレイアウトにあった。
ダイアゴナル・リンクとコイルを組み合わせ、さらに横置きリーフ・スプリングのコンペンセータを加えたスイングアクスル式により、ベレット独特の「ふんばりの効いた」走行性能が生まれたのである。なお前輪はウイッシュボーン/コイルの独立懸架となっている。
当時まだ少ない四輪独立懸架を採用したベレットに、スポーティ・タイプがバリエーションに加えられるのは、むしろ当然の成行きと言ってよかった。果たして昭和38(1963)年秋の第10回東京モーターショーには1500GTのプロトタイプが発表となった。そして翌昭和39(1964)年4月にはそれとは別のより強力なエンジンを搭載した1600GTがデビューした。
ボディは2ドアクーペで、ホイールベースは2350mmとセダンと同一だが、車高は1350mmと40mm低くなっていた。なお全長は4005mm(セダンは4010mm)、全幅は1495mmである。ちなみに1600GTは同じ年の9月には早くもマイナーチェンジを行い、4灯式ヘッドランプは2灯式プラス・フォグランプへと変わり、前輪にはディスクブレーキが装着されている。
エ ン ジ ン はG160型、 直4OHV、1579cc (83×73mm)で、SUキャブレターを2連装して、最高出力は88ps/5400rpm、最大トルクは12.5kgm/4200rpmを発生した。車重は940kgであるから、馬力当り重量は10.7kg/ps(SAE)とわずかに10kg/psをオーバーしていたが、当時としては良好なものだ。最高速度は160km/hで、日本車ではじめてスポーツカーの指標ともいえる100マイル・ラインに達したのも話題となった。
フェアレディ1500が当時最速の155km/hとなっていたのを考えると、ベレット1600GTの160km/hという数字の持つ意味がよくわかる。
さらに当時の世界に目を向けて見ると、GTと称する量産タイプは、それほど数は多くなかったが、たとえばイギリスのフォード・コンサル・コルティナGTでは、1.5L の83.5ps(SAE)エンジンを搭載、馬力当り重量10.4kg(SAE)とベレットGTと全く同一水準だが、最高速は149km/hだった。