この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第24回目は、スポーツカーの指標である時速100マイルに日本車として初めて達した、いすゞ・ベレット1600GTの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

四輪独立懸架で高いコーナリング性能

ヒルマン・ミンクスの後継モデルとして、ベレットがデビューしたのは昭和38(1963)年6月のことだった。まず曲面に囲まれたコンパクトなボディシェル、そして独特な走行特性が人々の心をとらえた。その秘密は後輪のサスペンションレイアウトにあった。

画像: ベレット1600GTは、基本シルエットは変わらないものの、小変更、小改良が重ねられた。写真の1600GTは再度4灯ヘッドランプに戻った後期型(43年式)となる。

ベレット1600GTは、基本シルエットは変わらないものの、小変更、小改良が重ねられた。写真の1600GTは再度4灯ヘッドランプに戻った後期型(43年式)となる。

ダイアゴナル・リンクとコイルを組み合わせ、さらに横置きリーフ・スプリングのコンペンセータを加えたスイングアクスル式により、ベレット独特の「ふんばりの効いた」走行性能が生まれたのである。なお前輪はウイッシュボーン/コイルの独立懸架となっている。

当時まだ少ない四輪独立懸架を採用したベレットに、スポーティ・タイプがバリエーションに加えられるのは、むしろ当然の成行きと言ってよかった。果たして昭和38(1963)年秋の第10回東京モーターショーには1500GTのプロトタイプが発表となった。そして翌昭和39(1964)年4月にはそれとは別のより強力なエンジンを搭載した1600GTがデビューした。

ボディは2ドアクーペで、ホイールベースは2350mmとセダンと同一だが、車高は1350mmと40mm低くなっていた。なお全長は4005mm(セダンは4010mm)、全幅は1495mmである。ちなみに1600GTは同じ年の9月には早くもマイナーチェンジを行い、4灯式ヘッドランプは2灯式プラス・フォグランプへと変わり、前輪にはディスクブレーキが装着されている。

画像: 直4OHVのG160エンジン。S Uツインキャブはベンチュリー効果を利用した扱いやすさが身上だ。抜けの良いマフラーも合わせて官能的なサウンドが楽しめるのも大きな魅力だった。

直4OHVのG160エンジン。S Uツインキャブはベンチュリー効果を利用した扱いやすさが身上だ。抜けの良いマフラーも合わせて官能的なサウンドが楽しめるのも大きな魅力だった。

エ ン ジ ン はG160型、 直4OHV、1579cc (83×73mm)で、SUキャブレターを2連装して、最高出力は88ps/5400rpm、最大トルクは12.5kgm/4200rpmを発生した。車重は940kgであるから、馬力当り重量は10.7kg/ps(SAE)とわずかに10kg/psをオーバーしていたが、当時としては良好なものだ。最高速度は160km/hで、日本車ではじめてスポーツカーの指標ともいえる100マイル・ラインに達したのも話題となった。

フェアレディ1500が当時最速の155km/hとなっていたのを考えると、ベレット1600GTの160km/hという数字の持つ意味がよくわかる。

さらに当時の世界に目を向けて見ると、GTと称する量産タイプは、それほど数は多くなかったが、たとえばイギリスのフォード・コンサル・コルティナGTでは、1.5L の83.5ps(SAE)エンジンを搭載、馬力当り重量10.4kg(SAE)とベレットGTと全く同一水準だが、最高速は149km/hだった。

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