マイナーチェンジでフェイスリフトするが、
その流麗なフォルムはまったく変わらず
試作1号車の完成は昭和40(1965)年8月で、その年の10月の第12回東京モーターショーに美しい2シーター・ファストバックのトヨタ2000GTプロトタイプが姿を現わしている。
このショーで人気をさらったトヨタ2000GTは、その後も入念な走行テストを繰り返し、昭和41(1966)年5月の第3回日本グランプリではプロトタイプ・レーシングカーのプリンスR380に1位、2位の座を奪われたが、無給油で3位に入賞して注目を浴びた。
同年6月の鈴鹿1000kmレースには2台が出場して総合1位、2位を占めた。さらに10月には谷田部の高速試験場で高速耐久スピードトライアルに挑戦、昼夜ぶっ通しの78時間連続走行で3つの世界新記録と13のクラス別国際新記録を樹立、このクルマの高速耐久性を実証してみせた。
ファンをヤキモキさせたトヨタ2000GTの市販はショーのデビューから約1年半後、昭和42 (1967)年5月から開始された。ロングノーズ&ショートデッキ&ファストバックのボディスタイルはショーに展示されたままだったが、センターロックのワイヤーホイールは市販車ではマグネシウム・ホイールに改められていたほか、細部で多少の変更も行われていた。
エンジンはクラウン用の新エンジン、M型2000をベースにヤマハがチューニングし、 DOHCとした3M型を搭載した。3M型は1気筒あたり2バルブの直列6気筒、ソレックス3連 キ ャ ブ レ タ ー、DOHC、1988ccで、 最高 出 力 は150ps/6600rpm、 最 大トルクは18.0kgm/5000rpmを発生した。
足回りはサスペンションが前後ともダブルウイッシュボーン/コイルの4輪独立懸架で、ブレーキは4輪ディスクを採用した。現在は珍しくない4輪ディスク・ブレーキだが、国産車としては初めてであった。国産初といえばリトラクタブル・ヘッドランプもトヨタ2000GTが先鞭をつけた装備である。
インテリアに関してもローズウッドの1枚板のダッシュボードやレザー張りバケットシートなど、内装の豪華さも当時のトップレベルで「すべて純国産」は自慢のひとつであった。しかし「ハイグレードなクルマづくり」による高価格も響いて、昭和45(1970)年8月の生産打ち切りまで3年3カ月の生産累計はわずか337台だった。
ちなみに通常はすべてのパーツのひとつひとつを銭単位(円単位ではなく)でコスト計算して生産されるが、2000GTほどコストを無視して作られた例はない。
それはトヨタの技術を世に知らしめる目的があったからこそできたことで、それだからこそ歴史に現在でも名を残す名車として輝いていると言える。自動車史の中でも唯一無二の存在なのだ。
EPISODE
映画007シリーズ第11作「007は二度死ぬ」(昭和42年・1967年)にオープンカー仕様車が登場している。ショーン・コネリーが演じるジェームズ・ボンドが乗り込み日本を走り回ったことで大きな注目を集めた。オープンカーとしたのは、撮影のため、また長身のショーン・コネリーが乗り込みやすくするためだったとか。
SPEED TRIAL谷田部で走行性能を実証!
昭和41(1966)年8~10月、トヨタ2000GTは谷田部のテストコースで、3つの世界新記録と13の(クラス別)国際新記録を樹立し「国際水準のGTカー」を強烈にアピール。3つの記録は、平均速度206.02km./hでの72時間走行、1万5000km走行時の平均速度206.04km/h、1万マイル走行時の平均速度206.18km/h(写真はレプリカモデル)。
トヨタ2000GT(MF10型)諸元
●全長×全幅×全高:4175×1600×1160mm
●ホイールベース:2330mm
●車両重量:1120kg
●エンジン型式・種類:3M型・直6DOHC
●排気量:1988cc
●最高出力:150ps/6600rpm
●最大トルク:18.0kgm/5000rpm
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:165HR15
●新車価格:238万5000円