モーターマガジン社より「スーパーカークロニクル・完全版」が好評発売中だが、その中から主だった車種をダイジェストで紹介しよう。第2回は1966年から1979年までのいわゆる「第1期スーパーカー」の中から、ランチア ストラトス、デ・トマソ パンテーラ、ロータスヨーロッパ、トヨタ2000GTをピックアップしてお届けする。

日本の技術力を世界に知らしめた「プレミアムスポーツ」誕生

ロータス ヨーロッパ (1966~1975年)「図抜けた軽量ボディと優れたシャシーを持つ」

画像: ●主要諸元 ロータス ヨーロッパSPL:全長✕全幅✕全高=4000✕1640✕1090mm、ホイールベース=2335mm、車両重量=710kg、エンジン種類=直4DOHC,総排気量=1558cc、最高出力=126ps/6500rpm、最大トルク=15.6kgm/5500rpm

●主要諸元 ロータス ヨーロッパSPL:全長✕全幅✕全高=4000✕1640✕1090mm、ホイールベース=2335mm、車両重量=710kg、エンジン種類=直4DOHC,総排気量=1558cc、最高出力=126ps/6500rpm、最大トルク=15.6kgm/5500rpm

1970年代後半の日本で巻き起こったスーパーカーブームは、池沢さとし氏の連載マンガ「サーキットの狼」が火付け役であったことは間違いないだろう。その主人公である風吹裕矢の愛車として登場したのが、ロータス ヨーロッパSPLだった。

イギリスのスポーツカーメーカー、ロータス カーズがリーズナブルなミッドシップスポーツカーとして1966年にロータス ヨーロッパS1を発売。エンジンはルノー16用の1.5L直4OHV。最高出力は82psと非力ながら、FRP製ボディは665kgと極めて軽量なため走りは活発だった。1968年には快適性を向上させたS2を発売するが、パワースペックは同一だ。

1971年には、TC(ツインカム)に進化する。エンジンはフォード製のブロックに自社製のDOHCヘッドを組み合わせたものを搭載。1.6Lの排気量で最高出力は105psを発生した。さらに72年になるとSPL(スペシャル)が登場すると、大径の吸気バルブを採用し、圧縮比もアップ。126ps/15.6kgのパワースペックとなった。

ロータス ヨーロッパはハンドリングの良さと安価なことで人気を呼び、9000台以上が生産されるヒット作となった。

トヨタ2000GT(1967~1970年)「トヨタが世界に存在感を示したメモリアルカー」

画像: ●主要諸元 トヨタ2000GT:全長✕全幅✕全高=4175✕1600✕1160mm、ホイールベース=2330mm、車両重量=1120kg、エンジン種類=直6DOHC,総排気量=1988cc、最高出力=150ps/6000rpm、最大トルク=18.0kgm/5000rpm

●主要諸元 トヨタ2000GT:全長✕全幅✕全高=4175✕1600✕1160mm、ホイールベース=2330mm、車両重量=1120kg、エンジン種類=直6DOHC,総排気量=1988cc、最高出力=150ps/6000rpm、最大トルク=18.0kgm/5000rpm

日本の自動車史に燦然と輝く、トヨタの高性能スポーツカー、トヨタ2000GTは日本を代表するスーパーカーと呼んでいいだろう。

トヨタが本格的な高性能スポーツカーの開発を決めたのは1963年5月に鈴鹿サーキットで開催された日本初の本格的な自動車レース「第1回日本グランプリ」の直後だったと言われている。そこでジャガーやベンツに世界との差を見せつけられたのが契機となった。

開発に着手したのは翌1964年のこと。搭載されたエンジンは、クラウン用のM型2Lの直6SOHCをベースにヤマハ製のDOHCヘッドを架装した3M型。ソレックスキャブレターを3基装着し最高出力150ps/最大トルク18.0kgmを発生した。

サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーンで、ブレーキは国産車としてはじめて4輪ディスクが採用されたのもエポックメイキングだった。

トヨタ2000GTは1967年5月に発売されたが、発売前の1966年5月に富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリに参戦。純レーシングカーのプリンスR380に次いで、予選2位、決勝では3位に入賞するなど高性能を見せつけた。

1969年にはマイナーチェンジされ、細部が変更されて5速MTに加えて3速ATも設定されている。

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