モーターマガジンムック「ランサーエボリューションChronicle」が8月28日からモーターマガジン社より発売中だ。ハイパワー4WD車の代表として多くのファンから支持されてきたランサーエボリューション。その変遷を詳細に解説した内容が好評を博している。ここでは、同誌の内容の抜粋をお届けする。まずはその前段として、ランエボ登場以前の三菱のモータースポーツ活動について複数回に分けてお届けしよう。今回はランサー1600GSRの登場からランサーEX2000ターボの活躍までだ。

1980年代に入りランサーEX2000ターボが世界で速さを示す

ランサーは日本国内外を問わず、無敵との名声を高め、特にアフリカでは「キング・オブ・カー」と呼ばれ、プライベートチームの参加も増えていた。ランサーは1976年までの4年間で国際ラリーに6度の総合優勝を飾った。その後、1977年のバンダマラリーでもコーワンとシンが、プジョー504を抑え、国際ラリー7勝目を挙げた。このように数々の栄光を築き上げてきたランサーは、1977年限りで引退する。

だがその一方で、耐久ラリーでは強いが、ヨーロッパのスプリントラリーで通用するまでにはいたらなかった。「ヨーロッパで勝たなければだめだ」と、イギリスのラリーで走らせたこともあったが、成績は芳しいものではなかった。これは三菱のラリー活動の次の大きな課題だった。そんななかで1978年にエンジン横置きのFF大衆車ミラージュを誕生させた。この方式のクルマとしてはホンダのシビックがあったが、時代の要請にあった軽快感をもったクルマとしてミラージュは成功した。

画像: 1982年はアウディクワトロが登場し、4WDの時代に入った。その中でFRのランタボは健闘し、1000湖ラリー(フィンランド)でペンティ・アイリッカラが3位に入賞した。

1982年はアウディクワトロが登場し、4WDの時代に入った。その中でFRのランタボは健闘し、1000湖ラリー(フィンランド)でペンティ・アイリッカラが3位に入賞した。

エンジン縦置きFRであるランサーのパワーユニットを使用したために、ミラージュはエンジンの回転方向を逆転させるためのギアをエンジンとトランスミッションの間に挿入しなくてはならなかった。これが後のギャランVR - 4に繋がることになるが、これはのちほど触れよう。1981年、三菱自動車のラリー活動再開のときにはヨーロッパ制覇を目指したクルマが投入された。それがランタボの名称でファンに知られるランサーEXターボだ。ベースのランサーは1400と1600、1800だったが、高性能セダンとしなければということで、4G63型2リッターターボエンジンとG62B型1.8リッターターボエンジンを載せたバージョンがつくられた。

徹底的に高性能セダンとしての性能を追い求めないとランサーは認められない宿命を持っていたといえる。ちなみにボディは、イタリア人デザイナー「アルド・セッサーノ」によるボクシーな造形で、非常に魅力的なものだった。確信を持って言えることは、2リッターターボエンジンでないとヨーロッパでは戦えないということだ。ただし、国内ラリーで2リッター仕様にするとコストが高くなりすぎるのも事実。そこで国内では1.8リッターにし、ヨーロッパ向けには当時のグループ4のレギュレーションに合うように2リッターにするという方法がとられた。

画像: 2L直4SOHCターボ(4G63型)は、1981年のデビュー時、インジェクション仕様で250馬力を発生した。

2L直4SOHCターボ(4G63型)は、1981年のデビュー時、インジェクション仕様で250馬力を発生した。

国内は妥協したように見えるが、当時1.8リッターターボ車を売るというのは画期的なことで、国内のラリーでも連戦連勝となった。ヨーロッパで戦うグループ4のランサーEX2000ターボは、アクロポリスラリーにデビューする。だが、そのときにすでにアウディクワトロという高性能な4WDターボ車が登場していたのは誤算だった。その後、2WDでもランチアラリーというラリー専用のミッドシップマシンが相手となり、コンベンショナルなFRのランサーEX2000ターボではアウディクワトロ、ランチアラリーに敵わないのは明白だった。

それでもランサーEX2000ターボは、WRCのうちヨーロッパを舞台とするスプリントタイプのラリーに的を絞っての出場を決定した。280馬力を発生したランサーEX2000ターボは、1981年にはアクロポリスラリー、1000湖ラリー、サンレモラリー、RACラリーの4戦に参加した。翌1982年には1000湖ラリー、サンレモラリー、RACラリーに出場。8月に開催された1000湖ラリーでペンティ・アイリッカラのドライブにより総合3位入賞を果たした。

画像: ランサーEX2000ターボはコンベンショナルなFRで操縦性に優れていた。写真は1981年の1000湖ラリーで、ドライバーはA.ライネ。

ランサーEX2000ターボはコンベンショナルなFRで操縦性に優れていた。写真は1981年の1000湖ラリーで、ドライバーはA.ライネ。

同ラリーは平均速度がWRCの中では最も高く、高速ジャンプや高速コーナリングを含め、動力性能、高速性能、操縦安定性などが要求されるラリーとして知られている。このラリーには、当時無敵の強さを誇っていたアウディ クワトロをはじめ、世界の強豪が173台出場し、デッドヒートが展開された中での3位は意義のあるものであった(以下次回に続く)

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