ギャランVR-4のコンポーネンツを活かしたランサーエボリューション

1991年にモデルチェンジでCD5Aランサー1800GSRが登場した。エボリューションモデルが登場する前に国内モータースポーツで活躍した。
三菱自動車は、ギャランVR-4で、WRC(世界ラリー選手権)に参戦を続け一定の成果を収めたものの、ギャランは当時としては大型セダンであり、ラリー車としてはロングホイールベースだった。ライバルであるランチアデルタインテグラーレやフォードエスコートRSコスワースはショートホイールベース、ワイドトレッドで、ギャランVR-4は後れを取ることも多かった。ツイスティなコースではギャランVR-4では、どうしても鈍重な感は否めなかったのだ。
当時の関係者も、1989年のRACラリーなどで、ランチアデルタなどと走る姿に「もっとコンパクトなボディにギャランのユニットを載せれば…」との思いを強くしたという。1991年にランサーがフルモデルチェンジする。新型ランサー(CD5A)には、1.8Lの4G93型インタークーラーターボエンジンが搭載され、ギャランVR-4と同じフルタイム4WD方式が与えられたランサー1800GSRがあった。

1993年、WRCに三菱チームからランサーエボリューションが投入された。ここからランエボ伝説が始まった。
当時は、国内モータースポーツではギャランVR-4が走っていたが、非力なはずのランサー1800GSRがしばしば格上のギャランVR-4を喰ってしまうこともあった。このクルマは後に通称〝エボ0(ゼロ)〞とモータースポーツファンの間では呼ばれることになるが、シャシバランスのよさと適度なパワーでモータースポーツでは高い戦闘力を発揮した。同時に、ギャランVR-4のパワーユニットを搭載したランサーが出るという情報が出まわっていたため、期待は否が応にも高まっていった。
そのような大きな期待の中で登場したのが初代ランサーエボリューションで、往年のランサーファンはもちろん、モータースポーツ参加者が待ち望んでいたものだ。当然、WRCでの活躍を期待させた。FIAによるグループAのホモロゲーションモデルという意味合いが大きかったランサーエボリューション、当時の関係者も「売れるかどうかは別として、とにかく2500台つくらなければならなかった。そんなに売れるか疑問視する向きもあったが、国内でモータースポーツをやってくれているお客さんが買ってくれたのは嬉しかった」とそのときの感想を語っている。

ギャランVR-4からキャリーオーバーされた4G63型エンジン。従来より10ps向上し、最高出力250ps/6000rpm、最大トルク31.5kgm/3000rpmを発生。
後に続々とエボリューションバージョンが出たために、初代ランサーエボリューションは、〝エボリューションⅠ(エボI)〞と通称されるようになるが、正式名称は「ランサーGSRエボリューション」と「ランサーRSエボリューション」になる。GSRが一般的な使用用途、RSは競技ベース車という括りは、ギャランVR-4のときから変わらない。