1982年に登場した2代目プレリュードも当時「デートカー」としてもてはやされたが、それを極めたのがこの3代目プレリュードだろう。ワイド&ローのスタイリッシュなボディも先代から継承され、さらに量産車として世界初採用の機械式4WSもオプション設定するなど意欲的な1台だった。
画像: プレリュード2.0XX(当時の車両価格:182万円)。リトラクタブルヘッドライトが当時の流行だった。

プレリュード2.0XX(当時の車両価格:182万円)。リトラクタブルヘッドライトが当時の流行だった。

3代目プレリュードってどんなクルマ?

1987年4月9日に発表、発売は翌日の4月10日。

低くスタイリッシュなデザインから「デートカー」と呼ばれた2代目プレリュードのフルモデルチェンジ版。先代とキープコンセプトなスタイリングだったが、より洗練され人気も絶好調。当時はバブル景気の真っただ中ということもあり、翌年に発売されたS13シルビアなどとともに、スタイリッシュ2ドアクーペという文化を築きあげた。

画像: 全高1300mmに満たないローフォルムは、当時の若者の心を奪った。

全高1300mmに満たないローフォルムは、当時の若者の心を奪った。

画像: ターンレンズとテールレンズをつないだリアパネルガーニッシュで、よりワイドに見えるリアビュー。

ターンレンズとテールレンズをつないだリアパネルガーニッシュで、よりワイドに見えるリアビュー。

世界初の4輪操舵システム「4WS」

世界初となる、メカニカルな舵角応動タイプ「ホンダ4輪操舵システム(4WS)」をオプションで設定。これはより高次元のハンドリング性能を実現するために、ハンドル操作量に応じて後輪を前輪と同方向(舵角により逆方向)に操舵するもの。

高速走行時は後輪を同方向に操舵、狭い道や車庫入れなどには後輪を前輪と逆方向に操舵することで、安定した操舵特性と高い小回り性能を両立。ホンダは4WSに関する特許を日本だけでなく欧米各国で取得した。

画像: 2.0Si。4WSは高速走行時は違和感がなかったが、低速時、とくに車庫入れのときにはドライバーのイメージよりも曲がるので、慣れるまでに違和感があったという。

2.0Si。4WSは高速走行時は違和感がなかったが、低速時、とくに車庫入れのときにはドライバーのイメージよりも曲がるので、慣れるまでに違和感があったという。

エンジンは2タイプ。最上級グレードの2.0Siには、2リッターのDOHCエンジンを搭載、145ps/17.8kgmを発生した。

その他のグレードのエンジンは2リッターのSOHC。シングルカムながら1気筒あたり吸気2、排気1の3バルブを持つタイプで、110ps/15.5kgmの出力/トルクを生み出した。

車両価格は以下のとおり(東京)
2.0Si:214万5000円
2.0XX:182万円
2.0XR:165万円
2.0XL:148万5000円。

3代目プレリュード 2.0Si(4WS、5速MT)の主要諸元

全長×全幅×全高:4460×1695×1295mm
ホイールベース:2565mm
乗車定員:4名
車両重量:1150kg
エンジン:B20A 直4DOHC 1958cc
最高出力:145ps 最大トルク:17.8kgm
トランスミッション:5速MT
燃費:12.0km/L(10モード) 

画像: 極細ピラー採用によるワイドなガラスエリアで、ホンダ車らしく視界は良好。全車に車速応動型パワーステアリングを標準装備していた。

極細ピラー採用によるワイドなガラスエリアで、ホンダ車らしく視界は良好。全車に車速応動型パワーステアリングを標準装備していた。

画像: メモリー付微調整リクライニングシート(2.0Si)や、ランバーサポート&サイドサポート調整機構(2.0Siドライバーズ席)を採用していた。

メモリー付微調整リクライニングシート(2.0Si)や、ランバーサポート&サイドサポート調整機構(2.0Siドライバーズ席)を採用していた。

1987年【昭和62年】には何があった?

ニュース
○石原裕次郎死去
○国鉄分割民営化、JRグループ発足
○広島・衣笠祥雄が連続試合出場2131の世界記録
○ボディコン流行 ○トランスフォーマー発売(タカラ)


ヒット曲
○命くれない 瀬川瑛子
○TANGO NOIR 中森明菜
○雪國 吉幾三
○STAR LIGHT 光GENJI
○Strawberry Time 松田聖子

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