細部にまで行き渡るクラフトマンシップが光る存在に
1970年代に入るとトヨタの車種体系は、主力車種を補う傍系車種が充実化していくことになる。スペシャリティカー路線を標榜する初代セリカ(A20系)が登場したのは、ちょうどこんな時期のことだった。
実用一辺倒のセダン系ではなく趣味性が強い車種だけに、搭載エンジンもバラエティに富んでいた。ベースグレードには新開発OHV 1.4LのT型、余力を持たせた1.6Lモデルには2T型が振り向けられ、動力性能重視のGTグレードにはDOHCエンジンが準備された。
それまでトヨタの量産DOHCエンジンは、2000GTの3M型(2L直6)、1600GTの9R型(1.6L直4)、コロナ マークII 1900GSSの10R型(1.9L直4・後に8R-G型に改称)があり、いずれもヤマハが開発を担当。はた目には、トヨタの高性能エンジン=ヤマハ開発の関係が出来上がったように見える時期でもあった。
実際、セリカ1600GT用の2T-G型もヤマハが開発し、セリカとプラットフォームを共用するカリーナGTにも搭載された。言ってみれば、当時はまだ特殊と見なされていたDOHCエンジンのイメージを、量販レベルにまで引き下げてきたのが2T-G型で、本来の持ち味である高回転高出力の特性に加え、生産性やメンテナンス性の点にも配慮の及んだ設計だった。
同様のことは2Lの18R-G型(セリカ/カリーナ/コロナの2000GT群)についても言える。このエンジンは、コロナ マークII 1900GSS用に開発された10R型(8R-G型)の発展型であり、2T-G型とともにDOHCエンジンを一般的な存在とする立役者としても機能した。
3M型以降、ヤマハが見せたシリンダーヘッドの換装というDOHC化の手法は、作り慣れてくると細部まで配慮がおよぶようになり、エンジンデベロッパーとして不動の地位に上り詰めた印象を与えていた。
なお、ヤマハは量産仕様とは別に競技用の2T-G型も手がけ、吸排気ポート拡大仕様の100E型に始まり、軽量/EFI仕様のレース用125E型、ツインプラグ化した126E型、ターボ仕様の135E型、16バルブヘッドを持つ151E型と多岐に発展させている。
解説:大内明彦
みんなの知ってるYAMAHAのお仕事“XS-1”【コラム】
創業以来2ストロークエンジンのみのラインナップだったヤマハが、初めて4ストロークエンジンモデルXS-1を発売したのは1970年のこと。650ccの2気筒エンジンを搭載し、「軽量・スリム・コンパクトな大排気量モデル」というテーマを具現化した。通称「ペケエス」は人気となった。
文:飯嶋洋治