ラリーで大活躍した先代のA110が代表車種
アルピーヌの話をする前に、その基となるルノーの話を少ししておこう。
その誕生は1899年2月。ヴォアチュレット(フランス語で小型車の意味)と呼ばれた小さなクルマは、生意気にもユニバーサルジョイント持つシャフトドライブ・システムを備えていた。当時、自動車といえばその駆動力は、チェーンもしくはベルトドライブ。パワーロスの少ないシャフトドライブは画期的だったのである。
アルピーヌの生みの親、ジャン・レデレは、フランスの地方都市ディエップに生まれたが、父親がそこでルノーのディーラーを経営していたのが、アルピーヌ誕生のきっかけ。彼自身もその経営に携わっていたが、クルマ好き、モータースポーツ好きが昂じて、当時、フランス大衆の足として人気を博していた4CVをベースにスペシャルモデルを作り上げたのが、アルピーヌの始まりである。
最初の市販アルピーヌは1955年、A106の名で登場した。それはまさに、その前年のミッレミリアで750㏄クラスのウイナーとなったモデルの市販化とも言うべきものだった。もちろんベースは4CV。スタイリングを担当したのは、その後もアルピーヌと深い関係を持つことになるミケロッティであった。
パワーユニットは747cc・OHVの4気筒、しかし車重がわずか500kg足らずだったこともあり、最高速は150km/hをオーバーする高性能を絞り出していた。
この最初のモデルからアルピーヌは常にリアエンジンを採用し続けるわけだが、やがてそれはインターナショナル・ラリーで素晴らしい活躍をするA110を生み出すことになる。
A110の登場は1962年。本家とも言えるルノーが、それまでのドーフィンに代わりニューモデルのR8を登場させたことにより、アルピーヌもそれまでの4CVやドーフィンから、ベースをこのR8にして誕生したモデルである。だが、そもそもドーフィンやR8は4ドアモデル。それがなぜクーペのA110に?と思われる読者諸氏もいるだろう。これは、単にそのメカニカルコンポーネンツが使われているという意味だ。
ちなみにA110の誕生前にほぼ同じ形をしたA108が登場し、こちらはドーフィンのコンポーネンツを使用した。A108から110への最も大きな変更点は、リアサスペンションがスイングアクスルから独自のセミトレーリングアームとされたこと。これにより、ラリー車としての戦闘力は飛躍的に向上し、大活躍の素地を作ったのである。
しかし、いくらシャシの戦闘力が増したとはいえ、肝心のパワーユニットがポテンシャルを持たなかったら意味がない。このアルピーヌの陰に隠れた存在だが、忘れてならないのがエンジンチューナーである、アメディ・ゴルディーニだ。
ゴルディーニはルノーの名チューナーとして欠くことのできない人物で、ラリーで大活躍したA110はもちろん、ル・マンで活躍したスポーツカーもすべて、パワーユニットはこのゴルディーニの手掛けたものだ。
アルピーヌは1971年にモンテカルロ・ラリーなど多くのラリーで優勝し、73年にはチャンピオンを獲得する。同じRRというレイアウトから、ポルシェ911のアンチテーゼとして、その地位は極めて強固なものとなっていった。
バックヤードなどと呼べなくなった存在のアルピーヌは、その後A310を誕生させ、小型高性能スポーツカーのメーカーから豪華高性能スポーツカー・メーカーへの脱皮を図る。アルピーヌにとってA310は極めてエポックメーキングなものになるはずだった。
しかし、その誕生直後に世界を襲ったオイルショックにより、アルピーヌの屋台骨はいとも簡単に崩れかける。そして株式の70%がルノーに売却されて、アルピーヌはルノーの傘下に組み入れられることになる。
ルノー傘下でA310はさらなる進化を遂げ、V6エンジンを搭載するより豪華なスポーツカーへと変身した。そしてこのスポーツカーの系譜は、その後A610に受け継がれた。
一方でコンパクトなFWD車の5(サンク)をベースとした5アルピーヌなども誕生。ルノーとの確かなコラボを続けるのだが、アルピーヌを名乗ったモデルの生産は1995年でその歴史を閉じる。だがディエップの工場はルノースポールへと引き継がれ、ユニークなオープン2シーターのスピダーや、メガーヌ/ルーテシアのルノースポールなどが開発・生産され、今日も稼働している。
一旦は消滅したアルピーヌだが、その復活が囁かれたのは2007年。この時もリーマンショックの直前で一時は頓挫かと思いきや、2012年に再びその話が持ち上がる。紆余曲折を経て、正式にアルピーヌ復活とニューA110誕生が発表されたのは、昨年の2017年のことだった。
(解説:中村孝仁)