1980年代、「クロカン」ブームを支えた4WDが、各自動車メーカーから続々と発売された。この連載企画では、今でいうSUVとは、ひと味もふた味も異なる「泥臭さやワイルドさ」を前面に押し出したクロカン4WDを紹介する。第19弾は「2代目 テラノ」だ。

ラリーで培った技術を2代目テラノに惜しみなく投入

画像: 1995年、走りが楽しい「スポーツユーティリティ」をコンセプトに登場した2代目テラノ。運転席エアバッグとABSを全車に標準装備したにもかかわらず、先代モデル比で約12万円も価格を値下げした。

1995年、走りが楽しい「スポーツユーティリティ」をコンセプトに登場した2代目テラノ。運転席エアバッグとABSを全車に標準装備したにもかかわらず、先代モデル比で約12万円も価格を値下げした。

日産テラノは都会的なイメージ戦略が見事にユーザーにマッチして、人気を集めたオフロード4WDだ。しかし、意外にもタフなモータースポーツにおいても輝かしい成績を多く残している。

1986年、初代テラノ(D21)がデビューした翌年に、完走率約50%と言われる世界一過酷な「パリ・ダカールラリー」に初参戦した。続く88年も同レースに参戦し、ガソリン車の市販車無改造クラスで2位となった。さらに89年から93年まで、5年連続でT1クラスで優勝を果たし「ラリーの日産」に恥じない功績を収めた。

そして1995年、ついに2代目テラノ(R50)が誕生する。ボディバリエーションは4ドアのみで2ドアは設定されなかった。乗車人数も5名と割り切り、快適な乗車スペースを確保するレイアウトを採用した。

当然、2代目になってもレースへのチャレンジは止まらない。パリダカやクロスカントリーラリー、W杯など、いくつものレースに挑み続け、表彰台の常連組となっていた。タウンユースを考慮しながらも、オフロード性能もキッチリと高める。これこそ「技術の日産」の表れだった。

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