1980年代、「クロカン」ブームを支えた4WDが、各自動車メーカーから続々と発売された。この連載企画では、今でいうSUVとは、ひと味もふた味も異なる「泥臭さやワイルドさ」を前面に押し出したクロカン4WDを紹介する。第20弾は「初代パジェロ」だ。

3ナンバーのワイドボディを設定し、さらに人気が増した

画像: 1989年6月、ワイドトレッドにワイドフェンダーを装着したワイドシリーズを設定。写真の3ドアの他に、5ドアワゴンのミッドルーフもラインナップした。

1989年6月、ワイドトレッドにワイドフェンダーを装着したワイドシリーズを設定。写真の3ドアの他に、5ドアワゴンのミッドルーフもラインナップした。

そして1988年のビッグマイナーチェンジで、リーフリジッドだったリアサスペンションを3リンク式コイルリジッドに変更した。さらに翌年、ミッドルーフワゴンとメタルトップワゴンに3ナンバーのワイドボディを設定し、L系の集大成を飾った。

しかし、一部のコアなクロカンファンからは、乗用車化に流されて行くパジェロの方向性を疑問視する意見も多かった。しかし、パジェロはデビュー翌年の83年から世界一過酷と言われるモータースポーツ、ダカールラリーに参戦し、完走62台中総合11位・クラス優勝を獲得。そして続く84年には総合3位・クラス優勝。1985年にはプロトタイプで参戦し、総合1-2フィニッシュを飾るなど、パジェロの強靭なタフさを知らしめてきた。

さらに「キャメルトロフィー」や「ファラオラリー」などで活躍した初代パジェロは、それぞれの参戦マシンモデルをモチーフとした特別仕様車「キャメルスペシャル(87年・限定150台)」や「ロスマンズスペシャル(88年・限定200台)」を発売し話題になった。

こうしてマルチな実力が幅広い層に認められ、国内だけでなく、世界中にパジェロブランドをアピールすることに成功した。名声とともに販売台数もどんどん増加し「国産4WDのレジェンド」へと初代パジェロは上り詰めていったのだ。

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