短期連載「自動車博物館巡り」、今回は広島県福山市にある福山自動車時計博物館。時計塔がひときわ目立つ館内に入ると、いきなり見慣れぬ1台が出迎えてくれた。マツダ X2000をはじめとして、「なんだろこれ」みたいなレアカーたちが、そこには山ほど眠っている。(中編/Motor Magazine2021年1月号より)

野性味溢れる本格オフローダー&ミリタリーなレアカー発見

福山自動車時計博物館には希少なモデルが多い。たとえば今回の「主役」マツダ X2000は恥ずかしながらその存在すら知らなかったし、フォード GPWの実車を目にするのは初めて。前者は解説をじっくり読んでいただくとして、今回はジープ然とした後者をテーマにして書き進めたい。

1939年にドイツのポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦は、参戦各国の自動車メーカーに軍用車両の開発を強いる。アメリカでは1940年に軽量偵察車両が求められたが、その条件は「どんな悪路も走破でき、万が一地雷を踏んでも即リカバリーできるクルマ、それも軽量で」という、メーカーにとっては酷なものだった。

そうした中で手を挙げたのがアメリカン バンタム、ウイリス オーバーランドという中小メーカー、そして大メーカーのフォードだった。その後、バンタムが開発した4WDモデルをウイリスが具現化し、フォードと競合することとなる。結果、ウイリスが製造認可を勝ち取った。名前はGPW=「ゼネラルパーパス」ウイリス。ちなみに1941年に生まれたJEEPというネーミングはこのゼネラル パーパスに由来するらしい。

MBそして1942年から中身が共通のウイリスMBとフォードGPWが生産を開始。ともに世界各国で活躍した。しかしここで、疑問が湧くかもしれない。戦後、「ジープ=ウイリスとなったのはなぜ?」と。それは戦時中にウイリスが商標登録をしていたからなのだ。

■マツダ X2000(MAZDA X2000)

画像: マツダ X2000。フロントグリル中央には「m」をデザインした、かつてのマツダマークが収まる。

マツダ X2000。フロントグリル中央には「m」をデザインした、かつてのマツダマークが収まる。

■マツダ X2000
・モデル生産年:1970~1973年
・主要諸元:全長3890×全幅1670×全高1920mm、ホイールベース2250mm
・エンジン種類:直列4気筒OHV 1980cc、最高出力81ps/4600rpm
・トランスミッション:4速MT
→マツダX2000は1970年前後にビルマ(現在のミャンマー)で「パスファインダー」の名でノックダウン生産されていた、輸出仕様の4WD車だ。マツダ ライトバスを手掛けていた西日本車体工業が1968年に試作し、1973年まで受注生産していた。展示車は広島県林務部が10台ほど導入し、福山の自動車店に現存していた1台。大きく見えるが4(5)ナンバーサイズに収まる。トランスミッションは2段切り替え副変速機を備えた4速MT。サイドブレーキは運転席右、観音開きのバックドアを開けると対面4座のシートが備わる。ゆえに定員6名。最大積載量は400kgと実用性も高い。フロントグリル中央には「m」をデザインしたかつてのマツダマークが収まる。(現在は展示されていません)

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