生い立ちは異なるが、極めて濃密な文字通りの「血縁関係」
「歴史」の授業は好きではなかったけど、このページをスタートさせるにあたっては、ここに登場する自動車メーカーのヒストリーに話題が及ぶことはある程度避けられそうにない。あるいは釈迦に説法で退屈極まりないかも知れないが、まずはそうした「歴史」についての話題にしばしお付き合いを願いたい。
というわけで、お馴染みのフォルクスワーゲンから。今やドイツを、いやヨーロッパを代表する自動車メーカーであるこのブランドの名称が、そもそもは「国民のためのクルマ」を表したものであるというのはよく知られている事柄。実際、かぶと虫の愛称で多くの人に親しまれ、それがこのメーカーの存在を世界に知らしめることにもなった初代ビートルというモデルが、かのアドルフ・ヒトラーが描いた「国民車構想」に基づいて、後にポルシェ社を創設するフェルディナント・ポルシェという自動車エンジニアの手により生み出された作品に端を発している。それは、少しでも自動車の歴史に興味のある人ならば耳にした経験のあるストーリーだろう。
そう、VWとは、そもそもは生粋の「実用車」を表す記号に他ならなかったのだ。言い方を変えれば、貴族階級のためのクルマ、あるいは趣味のクルマとは一線を画した生い立ちを持つのが、このブランドでもあるというわけだ。
そんなシンプルそのものの生い立ちを持つフォルクスワーゲンに比べると、アウディにまつわるヒストリーというのは、その難易度(?)がすこぶる高くならざるを得ない。
アウディの創業者が当初手掛けたのは、自らの名前である「ホルヒ」の名を冠したブランドが生み出す高級・高性能なモデル。しかし、後にそんな自らが設立した会社の役員会で経営陣と対立した氏は、そこを飛び出して新たなメーカーを興し、それをアウディと名付けることになる。
一方、そんなホルヒとアウディという2つのメーカーに、2ストロークエンジンを搭載する小型車づくりを得意としていたDKWと、自転車からモーターサイクル製造を経て4輪車へと進出したヴァンダラーという2社を加え、ドイツ自動車産業の強化を図るべく合同で結成したのが、アウトウニオンという民族系資本による連合会社。そして、そんな4社が1932年に合併して生まれたこのメーカーを礎として、そうした生い立ちを示す「フォーシルバーリングス」をブランドマークとして用いるのが現在のアウディだ。
こうして、一見するとまったく異なる道を歩んできたように思えるこの両社。が、しかし実は両社には極めて密接なる血縁関係があるというのも、ドイツ車の歴史に興味を持つ人ならばまた周知の数奇な事柄だろう。
前述のようにビートルの「原型」を生み出したのは、後にポルシェ社を創業するフェルディナント・ポルシェ。ところが、ポルシェ博士の長女の息子、すなわち孫にあたるフェルディナント・ピエヒが、まずはそんなポルシェ社でエンジニアとして活躍する。その後、氏はアウディに移籍してさまざまな先進技術を開発の後、最終的には会長職へと就任する。さらにその後にはフォルクスワーゲンの会長職まで務めたこともあり、それも含めて結果的に両社には、極めて濃密な文字通りの「血縁関係」が生まれるに至っているのだ。
フォルクスワーゲンとアウディのすべてをともに知り尽くすと同時に、今やその「親会社」となったポルシェでも実務を司ったピエヒ氏の影響力は、やはり現在でもとてつもなく大きいと考えるべきだろう。今ではフォルクスワーゲンの監査役という立場にあるが、少なくともここに登場の3つのブランドに対しては、現在でも十分に直接の支配力があると考えるのが自然であるはずだ。