「温故知新」の逆というわけではないが、最新のプジョー車に乗りながら、古(いにしえ)のプジョー車に思いを馳せてみたい。今回は、日本でも人気のリフターから、過去の商用車などを振りかえってみたい。(タイトル画像は、上が1970年代の204をベースにしたパネルバン、下がリフター)

プジョーとダイムラーには歴史的な縁があった

画像: 1890年に登場した最初期のプジョー車。自転車製造の実績もあり、車体技術はたしかなものがあった。

1890年に登場した最初期のプジョー車。自転車製造の実績もあり、車体技術はたしかなものがあった。

プジョーの本拠地モンベリアールは、ダイムラーの本拠地シュツットガルトと距離的に近い。国は違えど、属する地方(州)でいえば国境を挟んで隣接しており、その距離を日本に例えると東京と名古屋ほども離れていないのだ。当然、歴史的・文化的にドイツ圏と通ずるものがあり、フランスでは珍しくカトリックではなくプロテスタントが普及している地方である。

プロテスタントといえば、禁欲的で勤勉な姿勢が資本主義の発展に影響を与えたという有名な説がある。プジョーは資本主義黎明期にこの地で鉄製品づくりの事業に乗り出し、やがて次の新たな重要産業となる自動車生産に展開したのだった。プジョーは地に足のついた堅実さを持ち、あまり享楽的になりすぎないイメージはこういった風土的な影響もありそうである。

距離的に近いだけでなく、プジョーとダイムラーに歴史的な縁がある。ダイムラーが19世紀末にガソリンエンジンを発明したが、そのエンジンでクルマをいち早く商業生産化したのがプジョーだった。ダイムラーは当初エンジンそのものの製造を重視しており、また当時のドイツで自動車に対して禁止的な政策を行っていたことから、エンジンの販売先としてフランスの事業家と交渉を持った。

よく知られるように、パナール・ルヴァッソールとプジョーがこれに対応して、事実上世界最初の「自動車メーカー」となったのである。プジョーは、車体づくりに関して当初から優れた技術力を発揮した。そういった伝統は、老舗の最新作リフターにも受け継がれているようである。(文:武田 隆)

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